RED & BLACK

観劇日記

人間は猫にはなれない|ミュージカル『キャッツ』1998年映画版

アンドリュー・ロイド・ウェーバーの今週の配信は『キャッツ』でした。

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感想

はじめて『キャッツ』を通しで見て、かなり狂った作品だと思った。俳優さんたちに、全身タイツみたいな衣装を着せ、あんまり可愛くないフェイスペイントをさせて、舞台で四つんばいで歩き回らせるなんて、誰か止めなかったんだろうか?

 

人間は猫になれないことについて

今までキャッツを見てこなかったのは、「いや、猫には共感できないでしょwww」と思っていたからだった。今回初めて見た結果、この作品は観客に共感させるのではなく、むしろ観客を徹底的に他者にさせる構造になっていると感じた。

全体的に、人間の観客には若干不親切な構造になっている。われわれに色々な個性的な猫たちを紹介してくれるのかと思いきや、メインキャラクターであるマンカストラップなどの一部の猫は最後まで名前が分からなかったりする。歌詞も、人間の理解を拒んでいるところがあり、難しい単語は使うくせに内容はネズミの話だったりする。また、猫同士のコミュニケーションは、歌(言葉)よりもジェスチャーによって行われるし、それも身体をすりよせるとかなので、われわれ人間にはなかなか共感しづらい。

そのせいで、われわれは猫社会の一員になった気分にはなれず、猫同士で遊んでいるのを見ている人間にしかなれない。あくまでも、猫のほうから人間に近づいてきてくれるのではなく、われわれの方から猫社会に近づいていくことを要求してくる。これが猫社会に対する正しい態度なのだろう。まあ、劇場で見ると、キャストが客席に来てくれる演出があったりするらしいので、もっと舞台に入り込めるのかもしれない。また、ロンドンの地名がたまに登場するので、ロンドンっ子だと親近感を持つのかもしれない。

 

全体的に性的な感じが濃いので、これは本当に見ていい映像なんだろうかという気持ちになる。ラムタムタガーはこんなエロい猫おるかいという感じだし(いるかも)、ボンバルリーナやディミータも色気がすごい。他の猫も、老猫以外は全身タイツで踊りまくって四つんばいで歩き回るし、猫同士でスリスリしたり尻尾を触ったりするので、目のやり場に困る。カメラワークも悪くて(悪いわけじゃないが)、やたらにお尻を振っているところをアップで映したりするのでやめてほしい。

 

グリザベラのこと

なぜグリザベラが嫌われているのかは不思議だった。劇団四季の曲名は「娼婦猫」となっているし、今まで、グリザベラは娼婦だと思ってきたので、職業差別的に嫌われているのだと思っていた。しかし、英語版だとグリザベラは「グラマー・キャット」であって、歌詞のどこにもグリザベラが娼婦だと書いていない。まあ、グリザベラだけハイヒールを履いていて、娼婦っぽい存在であることは間違いなさそうなのだが・・・

しかし、そもそも、猫なんだから職業なんてないのでは?スキンブルシャンクスやガスはプロフェッショナル意識に溢れているが、人間社会で働いている(と本人は思っている)のであって、猫社会で労働をしているわけではない。バストファージョーンズはクラブを経営していると歌詞にあるが、実際に猫がクラブを所有しているわけではなくて、高級クラブで可愛がられているだけだろうと思う。こういう人間の視点で猫の価値観をジャッジすること自体がナンセンスなのかもしれないが・・・

グリザベラと同じ老猫には、オールド・デュートロノミーとガスがいるが、この2人は周囲の猫に好かれているようだ。特に、ガスは昔は良かったと回想して現在を嘆いているという点で、グリザベラと同じなのに、ジェリーロラムに介護されているし皆に尊敬されているようだ。だから、グリザベラが嫌われているのは、単に今老いて醜くなっているからだけではないようだ。

歌詞では、昔は美しくて幸せだったということだけが語られていて、その当時何があったかの詳細は分からない。でも、グリザベラ自身が身体的なコミュニケーションで救われると信じていることは、過去には性的な関係に依存するような生活をしていたことをうかがわせるし、他の猫から性的なからかいを受けていることからは、他の猫たちはそれをよく思っていないと思われる。グリザベラの嫌われ方は結構ショックで、カッコいい猫と思っていたラムタムタガーが嫌そうにしているのは悲しくなる。

グリザベラ以外の猫たちも人間よりも性的に奔放に見えるのだが、グリザベラだけが嫌われているのは、猫の価値観的に何か許せないところがあるのだろうか?

ストレートな解釈だと、娼婦はキリスト教的に罪深いから嫌われていて、悔い改めたから救済された、というふうになるのだろうけど、猫にはそういう貞操観念があるのだろうか。冒頭のジェリクルソングのところで聖歌っぽい部分もあるので、この猫たちはキリスト教的感性を有しているらしいので、価値観も人間っぽいのかもしれない。

 

ミストフェリーズ君とラムタムタガーが仲がよさそうなのが可愛いと思ったのだが、劇団四季版だとラムタムタガーの曲でミストフェリーズが歌う場面はないらしい。悲しい。

 

演出について

全編ダンスがあるのは、アンドリュー・ロイド・ウェーバー作品には珍しい。ダンスはアクロバティックで、すごい技術が必要そうなものが多い。また、メインの猫はほとんど出ずっぱりなので、ずっと踊りっぱなしですごく体力が必要そうだ。

私は大衆が大好きなのだが、この作品は合唱はあっても大衆はいない。猫は全員名前がついている個人(猫だけど・・・)だ。初見では同じような猫がたくさんいて見分けがつかないのだが、見ているうちに認識できるようになってくる。猫社会は個人主義的(猫だけど・・・)なのかもしれない。

 

さすがにキャッツを見たことがないのもアレなので、いろいろ収まったら見に行きたくなった。映画は見るか迷う。ゴキブリ嫌だし、ミストフェリーズ君に彼女がいるのはヤダ。

 

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