RED & BLACK

観劇日記

車なしの旅 長崎かくれキリシタンゆかりの地めぐり

世間の人々が皆Go Toトラベルを使っていてうらやましくなったので、長崎に旅行に行ってきた。(注:2020年10月)

遠藤周作の『沈黙』を読みんで調べているうちにかくれキリシタンの歴史や文化面白いとなり、見たいところが無限に増えてしまった。しかし、かくれキリシタンの集落はあまりアクセスが良くないところが多いので、車が運転できない人間としては厳しい旅程になってしまった。後世の人の参考になるように記録しておこうと思う。

 

 

 

はじめに 潜伏キリシタンかくれキリシタンについて

この記事では、禁教下でキリシタン信仰を続けた信者を「潜伏キリシタン」、禁教が解けた後も禁教下の進行形態を維持した信者を「かくれキリシタン」と呼ぶことにする。

 

布教期

1549年のフランシスコ・ザビエルの来日によって、日本にキリスト教が伝来した。イエズス会の修道士たちによって、九州・関西を中心として布教が行われた。各地の領主が改宗し「キリシタン大名」になるとともに、家臣や領民が一斉に改宗することも行われ、キリシタンは爆発的に増加した。各地に教会が建設され、信者たちは「信心組」を組織して日々の信仰生活を送った。また、「セミナリヨ」「コレジオ」といった教育機関も設置された。しかし、その過程で、宣教師が寺を破壊して教会に転用するなど、仏教徒との軋轢も生まれた。

1587年、豊臣秀吉によりバテレン追放令が出されたが、「バテレン」(=パードレ、神父)を追放するものであり、キリシタンの民衆については不問であったうえ、実質的な取締りは行われず、宣教師たちは活動を続けることができた。しかし、1596年のサン=フェリペ号事件をきっかけに、1597年、京都で活動していたフランシスコ会の修道士や信徒26名を長崎で処刑した(日本二十六聖人の殉教)。これが日本での最初の弾圧であり、宣教師たちによってヨーロッパに伝えられ、処刑された信徒たちは後に列聖された。

徳川家康も当初、キリスト教を黙認していた。しかし、キリシタンである岡本大八収賄事件(岡本大八事件)が起こると、禁教政策に舵を切った。1612年から1614年にかけて、全国に禁教令が出され、キリシタン大名は改易や国外追放となり、教会は破壊された。しかし、この段階では国内に潜伏して活動を続ける宣教師もいた。また、弾圧の程度も地域によって差が大きかった。

幕府による迫害は徐々に苛烈になり、宣教師や大名だけでなく、一般信徒にまで及ぶようになった。1622年には、長崎で一般信徒を含む55名が火刑・斬首される「元和の大殉教」が起こった。

1637年に島原の乱が起こると、幕府は、この事件の原因は領主が厳しすぎる統治を行ったためとして領主を処罰すると同時に、キリシタンによる反乱であるとも捉え、全国で禁教を徹底した。ポルトガルと断交、オランダ商館を出島に移転する鎖国政策によって、国内に宣教師はいなくなった。さらに、全ての民衆を寺に帰属させるという宗門改制度を整備し、民衆に対しての禁教も徹底した。

 

禁教期

禁教期、キリシタン信仰を続けた人々は、今日では「潜伏キリシタン」と呼ばれる。九州の潜伏キリシタンでは、信仰共同体が組織され、洗礼などの行事を執り行っていた。

潜伏キリシタンは「浦上・外海系」と「平戸・生月系」の2つの潮流に分けられる。浦上・外海や、外海から移住した五島列島潜伏キリシタンの集落では、宣教師「バスチャン」が伝えたという信仰暦を重視し、クリスマスなどの行事を執り行った。一方、平戸や生月島潜伏キリシタンの集落では、「お掛け絵」と呼ばれる聖画などを祭った。

 

禁教期には、潜伏キリシタンの集落が明るみに出る(「崩れ」と呼ばれる)出来事が各地で起こった。濃尾崩れのように、多くの住民が検挙され信仰共同体が壊滅してしまった事件もあれば、浦上一番崩れ・二番崩れや天草崩れのように、証拠不十分であるとか、(明らかにキリシタンであるにも関わらず)「異宗」であるがキリシタンではないとして放免された事例もあった。

 

復活期

幕末、開国し、外国人たちが来日するようになると、居留するフランス人のために、長崎に大浦天主堂が建てられた。1865年、浦上地区に住む日本人たちが、大浦天主堂を訪れ、自分たちはクリスチャンであることを告白した。この出来事は「信徒発見」と呼ばれる。この出来事をきっかけに、日本人にはキリスト教はまだ禁止されていたものの、浦上や他の地区から多くの信徒がカトリックに復帰した。

しかし、1867年、カトリックに復帰した浦上の信徒たちが、仏式の葬式を拒否したことで、信徒たちの存在が明らかになった(浦上四番崩れ)。信徒たち3000人以上が各地へ流罪となり、配流先で苛烈な拷問を受け亡くなった者も多かった。この対応に対して、西欧諸国からの激しい抗議があり、ついに1873年、幕府はキリスト教禁教の高札を撤去し、流刑になっていた信徒たちは帰郷を許された。

潜伏キリシタンの人々には、カトリックに復帰した者、潜伏キリシタン時代の信仰を続ける者(かくれキリシタン)の両方がいた。浦上・外海系の集落では、カトリックに復帰する者とかくれキリシタンになる者の両方がおり、平戸・生月系の集落では、カトリックに復帰する者はほとんどおらず、ほとんどの住民がかくれキリシタンの信仰を続けたそうだ。

さらに、現代では、かくれキリシタンの共同体を解散する集落が多くなっている。

 

首都圏から長崎へ

首都圏から長崎に行くには、やはり飛行機だ。JALからも出ているが、ソラシドエアが安い。

長崎空港からは、長崎市佐世保市にエアポートバスが出ている。また、佐世保市へはエアポートリムジンも出ている。長崎空港は狭いので、飛行機がついてすぐにエアポートバスに乗れる。

 

長崎市街編

交通情報

長崎市街は、長崎電鉄に乗ればほとんど観光できる。一日乗車券500円也はホテルなどでも売っている。

 

日本二十六聖人殉教地・記念館

1597年に豊臣秀吉の命で26人の宣教師たちが処刑された(『真田丸』にも出てきた)場所。ゴルゴダの丘に倣い、処刑された信者たちが丘の上で処刑されることを望んだというだけあって、結構な坂を登った上にある。


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イエズス会が運営している博物館だけあって、日本の殉教が当時のヨーロッパでどのように受容されたかなどの展示が面白い。異国での殉教という物語が宣伝に便利だったために、30年後の1627年には列福されたということだろう。

ザビエルやイグナティウス・ロヨラなどイエズス会関係者や、宣教時代当時のヨーロッパの風俗に関する展示も充実していた。

 

大浦天主堂

修学旅行の小学生がワラワラいて何となく居心地が悪かった。今ではもう教会としては使われていないということで、90年代風の案内音声が延々と流れていた。

開国後に外国人居留地の中に作られた教会であり、プチジャン神父とかくれキリシタンが邂逅する「信徒発見」の舞台となった場所でもある。かくれキリシタンの研究者である宮崎賢太郎氏は、「信徒発見」はプチジャン神父の作り話で、かくれキリシタンのほうから自分たちはキリシタンだと言ってきたのではなく、プチジャン神父の方からかくれキリシタンに貴方たちはクリスチャンだと説明したのだと決めつけていた(参考文献(3))。しかし、かくれキリシタンたちが「サンタマルヤの御像はどこ?」とプチジャン神父に尋ねたというエピソードは(そのサンタマリア像はまだある)、マリア信仰の強いかくれキリシタンらしさを感じさせる。神父の作り話だったら、イエス像になっているのではないか。

 

グラバー園

グラバー邸は修繕中だった。『ニュクスのランタン』に出てきた大浦慶に関する展示もあり。

 

出島

ここも修学旅行生いっぱい。

周りが全部埋め立てられてしまったため、島じゃなくて内陸になっていたので驚いた。あと、案外小さい。蔵がたくさんあり、貿易拠点だなあという感じだった。

ヨーロッパとアジアの間で、お互いに舶来の陶磁器を有り難がり、輸出向けの製品を生産していたというのが可笑しかった。

『大奥』家光編に出てくるオランダのカピタンが住んでいた屋敷も再現されていた。『大奥』作中では、出島には男しか入れないようにして、日本に男が少ないのがバレないようにしているという設定だが、カピタンには毎年江戸を訪れる義務があったので、流石にバレるんじゃないだろうか。

解説動画にはご丁寧にオランダ語で声があてられていた。金がかかっている。

 

ごはんどころ

「ビストロボルドー

有名店らしく、今日は予約客でいっぱいとのことだった。

トルコライスのコースを注文。上品な前菜が出てきたと思ったらメインはこれ。ピラフとスパゲティの上にとんかつ。分かってはいたが狂っている。人は炭水化物のみで生きられるわけではないことを知らないのか?


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中華料理のお店「よこはま」

なぜ長崎まで行って「よこはま」という名前なんか分からない。海鮮ちゃんぽんはおいしかった。
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外海編

長崎県の外海地方は『沈黙』に登場する潜伏キリシタンの村「トモギ村」のモデルになった地域だ。現在でもかくれキリシタンの組織が継続している数少ない集落でもある。

 

交通情報

車なしでがんばってバスで回ることも不可能ではないと思うが、どうしてもバスではいけそうもないところもある。

バスツアーが便利だった。長崎遊覧バスの外海ツアー。お昼ごはんや入場料など入っていることを考えると1日9500円は結構安いと思う。

私が参加したときのメンバーはお一人様女性が4人だったので、ツアーだが比較的のびのび観光できた。

www.n-yuranbus.com

 

潜伏キリシタン文化資料館

一部屋だけの小さい博物館。ご夫婦で運営されているらしい。館長夫妻が「うちの家の屋根裏から出てきた」という宣教時代のメダイなんかが展示されており、びびる。

 

枯松神社

禁教期にサン・ジワンという宣教師が隠れ住んでいたとされ、かくれキリシタンの聖地になっている場所。

明治以降、神社という名前がつけられ(なぜ・・・?)、クリスチャンを祭っている日本唯一の神社になり、今見えている立派な祠も作られたそうだ。

近年では、毎年枯松神社祭というお祭りが催され、地域のかくれキリシタンカトリック仏教徒が集まるお祭りになっているらしい。

tabinaga.jp

バスガイドさんの話によると、禁教期は潜伏キリシタンばかりの集落だったので、お寺でもそれを知りながらも隠してくれていたそうだ。そのため、お寺の改修の際にはクリスチャンやかくれキリシタンの方々からも寄進が集まったとのこと。

 

ド・ロ神父記念館、旧出津救護院

明治初期に地域で活動したド・ロ神父を記念した記念館。人々があまりに貧しいので、長崎の外国人居留地向けの商品の製造所を設立して雇用を生み出したり、教育施設を作ったそうだ。ド・ロ神父は建築・医療・簿記会計・裁縫などなんでもできたらしい。極東に派遣される宣教師には母国でそういうサバイバル教育を施したそうだ。やはり青白いインテリはダメで、DIYができないと何にもならない。

 

 

バスチャン屋敷跡

伝説の日本人宣教師「バスチャン」の隠れ家があったとされる場所。バスチャンは、外海系の潜伏キリシタンに伝わる「バスチャン暦」を伝えた人物とされている。

だいぶ山の中なので、車なしで一人で来るのは無理。

『沈黙』映画版のスコセッシ監督も見学に来たらしいので、ロドリゴの隠れ家のモデルだと思われる。


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遠藤周作記念館

遠藤周作が外海を取材した際のエッセイ集『切支丹の里』を購入。読んでから来いよという感じだが...

 

ごはんどころ

出津文化村にあるレストラン「ヴォスロール」さんでごはん。全部地元産の食材で作っているそうだ。美味しかった。お腹いっぱい食べたあと、パンをお土産にいただいてしまった。

お店の近くの菜園も見学させていただいた。外海地区では米の栽培ができないため、昔は主食はほとんどイモだったそうだ。

 

平戸・生月編

平戸島生月島は、外海と同様に、現代でもかくれキリシタンの儀式が継承されている数少ない地域の一つとして有名なところだ。

外海と同様、自家用車ナシでは相当に厳しい。ツアーを探したのだが、見つからなかったので、バスでがんばることにした。

 

交通情報

長崎市から平戸に行くためには、まず佐世保まで行き、佐世保からバスか電車で平戸に行く必要がある。

長崎から佐世保までは、シーサイドライナーという電車で行くことができる。佐世保から平戸まで行くには、鉄道かバスで行けるが、平戸が島であることに注意。バスだと平戸島側の平戸桟橋まで行けるが、鉄道だと本土側のたびら平戸口で下車するので、バスなどで平戸島に渡らないといけない。平戸大橋でつながっているので、たびら平戸口駅でレンタルサイクルを借りて、本土側にある田平天主堂などを観光してから平戸島に渡るのもいいかもしれない。

さらに、生月島まで行くには、平戸からさらにバスに乗る必要がある。生月バスの時刻表はGoogle mapとかでは出てこないので、公式サイトで調べるしかない。当然あまり本数がないので、注意。

ikitsuki-bus.co.jp

 平戸桟橋から生月島までのバスチケットと、生月町博物館の入館料がセットになった「生月島旅チケット」というものもある。

www.hirado-net.com

 

旅程を組むためには以下のページを多いに参考にさせていただいた。(しかし、バスの時間が変わっているためにこのページどおりの旅程にはできない)

oratio.jp

 

平戸ザビエル記念教会

昭和期になってから建てられた大きい教会。コロナのため中を見学することはできず。向かって右側の尖塔がないのは資金が足りなくなったせいと地元の人に聞いたが、本当かしらん。


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平戸オランダ商館

オランダ商館が出島に移る前にあった場所。展示内容の多くが出島と被っているため(失礼)、チャレンジで解いた問題だ状態だった。時間がなくて高速で見る羽目になってしまったので残念。

 

 

生月町博物館「島の館」

バス停から10分ほど歩くと博物館がある。若干迷う。

1階は捕鯨について、2階はかくれキリシタンについての展示がされている。かくれキリシタン目当てで来たわけだけど、1階も結構面白い。生月が漁業で栄えた島だということがよくわかる。捕鯨の道具からすると、漫画『空挺ドラゴンズ』は(西洋の)捕鯨の話なんだなと思った。

かくれキリシタンに関する展示はあまり広くはないがかなり詳しい。平戸・生月の潜伏キリシタンは浦上・外海・五島の潜伏キリシタンとは別系統であることなど、はっきり記載されている。地域によって信者への弾圧が始まった時期が数十年ほど異なり、過渡期の状態が禁教後の信仰形態に影響を与えたということだ。

地元の人と思われる人たちが、生月・平戸特有の信仰具「お札」を見て、小さい頃近所の人がやっていたと話していて、ちょっと感動した。

企画展で「お掛け絵」の特集をやっていたのだが、学芸員さんのコメントが「稚拙」とか結構辛辣で笑ってしまった。近年になってお掛け絵を西洋風にしたら不評だったのですぐ代替わりしたなど、愉快なエピソードもあった。学芸員さんの主張は潜伏期に信仰が「変容」したということはなく、むしろ近況前の信仰形態が非常に良く保存されているというものだ。しかし、お掛け絵の中には、受胎告知場面なのに既にマリアが幼イエスを抱いているものがあったり、イエスやマリアが何者なのか、どういう場面なのかが理解されていなかったのではないかと思わせるものもあった。しかし、そもそも何を理解していれば「信仰がある」状態と認められるのかは難しい。禁教前の時代、ヨーロッパでも庶民はカテキズムを理解していなかっただろうし、現代でも怪しい。

ミュージアムショップで学芸員の中園成生氏の著書(参考文献(2))を購入。

 

徒歩で山田教会とガスパル様を目指す。山田教会までは20分くらいだったと思うが、上り坂だし早くもさっき本を買ったことを後悔した。

 

牛注意?狩猟禁止?ハハハまさかねと思いながら歩いていたら、道の脇からカラフルなキジがケーンと叫びながら飛び出してきて、ヒエーと言ってしまった。野生のキジは初めて見た。

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山田教会

「内部が蝶で飾られていて美しい」という記述を見て行ってみたのだが、コロナのため内部は見学できず。そのため蝶で飾られているとはどういう状態か結局分からなかった。

 

ガスパル様(黒瀬の辻殉教地)

迷ってものすごい坂道を登りおりする羽目になった。国道沿いから行くといいですよ。殉教地である中江ノ島がよく見える。


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バスに乗り、平戸島の春日集落へ。

春日集落最寄りの白石バス停は、工事の関係で停車る場所が変わっているらしく、自販機のところでいいですか?と訊かれたが、いいか分からん。ともかく、歩いて15分くらいで春日集落に着くはずだ...しかし、目の前にはトンネルしかない。徒歩でここ通るのか?と困惑していると、何と通りがかった車の人が、これから春日集落に行くところなので乗せていってくれるという。ありがたい。お兄さんは春日集落でやっているライトアップイベントの担当者だという。

そう、来るまで知らなかったが前日からライトアップをやっているのだ。ネットを見ても情報はなし。宣伝しようよ、まじで。


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春日集落案内所「かたりな」

春日集落も最近までかくれキリシタンの組織があったところで、世界遺産の構成資産になっている。近代になっても誰もカトリックにはならなかったため、集落に教会はないそうだ。

「かたりな」は、地元のご老人とお話したりお茶を飲んだりできるという珍しい観光施設だ。お茶を飲みながら、おばあさんのご家族のお話を聞いた。春日集落は半農半漁の人が多いらしい。他のお客さんのおみやげだという博多通りもんもいただいた。ありがとうございます。

 

平戸桟橋から佐世保に戻る終バスに乗るには、18:15ごろに白石バス停からバスに乗って平戸に戻る必要がある。しかし、それだとイルミネーションは見られない。悩んでいると、来るときに乗せてきてくれたお兄さんが帰りも乗せて帰ってくれるということなのでお言葉に甘えることにして、ライトアップを堪能することにした。写真が下手すぎて全く伝わらないが、電気の灯りと星空が同時に見え、新鮮な体験だった。写真下手すぎて伝わらないが。


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お兄さんにたびら平戸口駅まで乗せてきていただき、松浦鉄道佐世保まで帰った。ありがとうございました。

お気づきの方もいるかもしれないが、佐世保-平戸間、平戸-生月間のバスをどちらも往復で買っていたので、帰りのぶんは無駄になった。

 

ごはんどころ

佐世保駅前の居酒屋。初めてソロ居酒屋をしたが、なかなか良い。居酒屋のメニューって量が少ないから一人でも食べきれるし、何より好きなものだけ食べられる。サバうまい。牡蠣もうまい。ソロ居酒屋おすすめですよ。


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佐世保バーガー。うまいがお腹がいっぱいになりぎた。


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参考文献

(1)大橋幸泰『潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆』

(2)中園成生『かくれキリシタンの起源 信仰と信者の実相』

(3)宮崎賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』