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観劇日記

【感想】ミュージカル『アリージャンス~忠誠~』2021年

『アリージャンス』見てきた。今年一番気になっていた作品の一つで、すごく楽しみにしていた。

日系アメリカ人俳優であるジョージ・タケイの経験をもとに、第二次世界大戦中の日系人の強制収容について描かれたブロードウェイ作品。今回は日本初演である。

おりしもアメリカでアジア系への差別が話題になっているので、期せずして情勢に合った作品を見ることになってしまった。

 

基本情報

2021年3月27日(土)マチネ@東京国際フォーラムCホール

キャスト

ケイ:濱田めぐみ

サミー:海宝直人

タツオ:渡辺徹

おじいちゃん/サミー(現代):上條恒彦

フランキー:中河内雅貴

ハナ:小南満佑子

マイク・マサオカ:今井朋彦

 



あらすじ

カリフォルニアに住む日系人のキムラ一家。太平洋戦争が勃発すると、財産を奪われ、日系人収容所に送られる。非人道的な環境に苦しみながらも、なんとか生活していくが、政府からの「忠誠質問状」が送られてくる。特に、従軍の意志があるかと問う27問目と、天皇への忠誠を拒否するかと問う28問目は議論を巻き起こす。キムラ家の面々がそれぞれの方法で差別に抵抗した結果、家族は別々の道を行くことになる。

日系1世でありアメリカ市民権のない父タツオは、日本人・日系人の人権を侵害する不当に強制収容を行っているにも関わらず、さらなる犠牲を求める忠誠質問状に怒り、Noと答え、より過酷な強制労働収容所に送られる。

日系2世の弟サミー(イサム)は、従軍することで日系人の権利を獲得しようと志願。日系人だけで構成された442部隊に配属され、ヨーロッパ戦線で活躍し英雄となるが、最終的には戦友の多くを失い自身も障害を負う。

姉のケイ(ケイコ)は、収容所に残り、恋人のフランキーとともに徴兵拒否運動に参加。フランキーは逮捕されるものの、結婚し子供を授かる。

終戦後、日系人は収容所から解放され、サミーも戦地から帰還する。フランキーがキムラ家の「息子」に納まっているのを見たサミーは激昂。ケイと口論の末、去っていく。

50年の時が過ぎ、サミーのもとにケイの死の知らせが届く。ケイの遺品を見たサムは、ケイの幽霊とついに和解する。

 

感想

差別と抵抗/闘争

最初に沸いてくる感想しては、日系人差別、ひど!という感じ。収容所の環境は尋常ではない。馬小屋に住まわされるし、トイレに壁はないし、寒すぎるのに毛布なくて赤ちゃん死ぬし、日系人用の薬はないし(米軍用はある)、番号を書いた荷札をつけられるし、全く人間扱いされない。しかも強制不妊手術まで計画されていたとか。といっても日本では優生保護法による不妊手術強制は1996年まであった。人類、つい最近まで当然のように優勢思想が蔓延していたのやばすぎる。

マイノリティが差別に抵抗する際に、運動論の違いで分断されてしまうのはやりきれない。現代から見ると、ケイ&フランキー組の非暴力抵抗運動が「正しい」運動ということになる。サミーとロビイストのマイク・マサオカ組の方法論は「自分たちは役に立つことを示し、差別をやめてもらう」というものだが、明らかに人権概念の原則に反している。しかし、過去には、特に戦時中は、様々な反差別運動がこの論法に巻き込まれてしまい、全体主義軍国主義に回収されてしまった歴史がある。

しかし、苛烈な差別のなかで生き残るには、マイク・マサオカのように妥協するしかなかったのではないかという印象も抱かされる。マイク・マサオカの独白の場面は、この作品で最もミュージカルっぽくない特殊なシーンである。ここで彼を擁護し、彼の運動を否定しなかったところに、プロダクションの当事者性を感じた。

この物語中では一見サミーが悪者にさせられているように見えるが、サミーが孤独になってしまったのは、他の道をとった同胞を否定するようになってしまったからである。それに対し、最後まで連帯を重視したフランキーは家族を手に入れることができた。

 

家族の物語

サミーは父の理想の息子になれないという葛藤を抱えている。父に認められるため、自尊心を獲得するために志願する。しかし、従軍するという決断をしたことで、収容所での日系人のまとめ役という役割、さらに父の「息子」という立場までフランキーに奪われてしまう。サミーの軍人としての活躍のおかげでタツオは収容所から出られたのに、帰還したサミーを認めてあげないのはちょっとひどいんじゃないかと思った。

弟サミーが自分の道を選択して歩んでいくのに対して、ケイは、おじいちゃん、父、弟という3世代の男を、女一人でケアする役割を負わされている。フランキーと出会って自分の生きる道を見つける、というストーリーだが、結局、結婚して子供を産むという家庭内の役割に戻っていくので、どう変化したのかがちょっと分かりづらかった。

 

日系人の描写

現代の日本人が、戦中の日系一世(日本人)・日系二世を演じるのは非常に難しかったと思うが、よく考えられた演出と演技でうまく物語の世界に入ることができた。

冒頭の夏祭りのシーンから、笹ではなく普通の木に短冊が飾られ、アメリカンなワンピースを着た人たちが盆踊り(七夕で盆踊りってするっけ?)。日本とは違う日系人社会の話なんだ、ということが視覚的に伝わってきた。

日系1世が家父長制的感覚を保持しているのに対して、英語が堪能な2世の方が活躍して軋轢を生んだり。日系人アメリカに同化していく過程で起きる問題も丁寧に描かれていてリアリティがあった。

 

キャスティングについて

ケイ役の濱田めぐみさん、サミー役の海宝直人さんの歌は文句なしで素晴らしい。

タツオ役の渡辺徹さんは、ミュージカル初出演ということで所謂ミュージカル的な歌い方ではないのだが、頑固親父の演技が良く、歌うま姉弟と並んでも遜色なかった。

フランキー役の中河内雅貴さんはダンスが大変上手かったが、歌はまだ伸びしろがある感じだった。キムラ姉弟と張り合うシーンが多いし、オリジナルキャストのマイケル・リーさんとも脳内で比較してしまうので、ちょっと気の毒な感じだった。あと、ケイに比べて若すぎるような・・・(ケイはオリジナルキャストもレア・サロンガさんだし、結構年をとっている設定なんだろうか。)

 

演出について

日系一世である「おじいちゃん」は英語が苦手という設定なので、ブロードウェイ版ではところどころ日本語の台詞が入っていた。今回の公演では、逆に、白人の台詞が一部英語になっていて、英語な苦手な私は「おじいちゃん」の気持ちを味わうことができ良かった。

ブロードウェイ版の日本語はところどころ変だったのだが、自然になっていて翻訳者さんの苦労を感じた。「石から石」って何だ・・・と思っていたが、日本のことわざじゃなくて孔子の言葉だというふうにちゃんと台詞が変更されていた。

オリジナル・プロダクションは、俳優以外もほぼアジア系で構成されていて画期的である。ただ、作詞・作曲のジェイ・クオ氏のコメントに「日本人の耳にはでたらめな歌詞に聞こえるのではないかと思った」とあり笑った。この内容にも関わらず、ブロードウェイ公演では日本語が分かる観客は想定されていなかったらしい。

 

戦争の残酷な場面は直接描かない演出で、抑制することで悲惨さが伝わってよかった。サミーの所属する第442部隊が壊滅する場面では、死んだ兵士たちが舞台の後ろに去っていくのと同時に、日系人遺族たちが現れて、遺品を見て嘆き悲しむ、というような。広島原爆投下の場面は、歌と光で表現されている。原爆投下について、具体的な言葉は全くないが、日系人収容所での非人道的な環境や、その他の日系人差別と地続きのものであるという演出になっていたと思う。イタリア人やドイツ人を収容所には入れない、という台詞もあるとおり、原爆投下も人種差別の結果であるという見解だと思う。原爆投下が正当化されるアメリカ社会にこの作品を発表してくれて嬉しい。しかし、強い光で観客を照らす演出は苦手なので参った(光で偏頭痛が誘発される体質なので)。

 

音楽は、典型的なブロードウェイ風の曲に、ところどころ日本的な旋律とか笛の音とかが入っているというもの。音源を聞いたときは「オリエンタル」すぎないか~?と思ったが、実際舞台で聞くとあまり気にならず、いい感じだった。

オケが幕の後ろにいる演出は面白いと思ったけど、幕で音が遮られてしまうのはちょっと残念。東京国際フォーラムははじめて行ったけど、オケピがないんだろうか。音響もあまり良くない感じがして、それは残念。

 

場面転換の際に、年号や場所がスクリーンに表示される。横書きの英語と縦書きの日本語を組み合わせるのが垢抜けていて良かった。特に、日本語はちゃんと旧字体で、古い本のようなフォントなのがすごい好みだった。日本語での表示はブロードウェイ版でもあったんだろうか?(未確認)