RED & BLACK

観劇日記

"Stars"の歌詞に感じる違和感、あるいはジャベール警部の信仰について

今年のレミゼの公演始まりましたね。一昨年はチケット戦争に破れたが、今年はどうにかチケットを確保できたので安心。

1年弱かかってようやく『レ・ミゼラブル』原作(小説版)を読み終わった。おたく女のご多分に漏れず私の推しはジャベール警部なので、今日は推し語りをしていきます。

 

原作を読んだあとでミュージカル版をみると、何だかちょっと違和感がある。ミュージカルのジャベールは、原作のジャベールよりも「信心深すぎる」ように見える。

 

原作でもミュージカルでも、ジャベールの基本的な性格やストーリーは変わらない。

ジャベールは、法を絶対的な価値として、ジャン・バルジャンを執念深く追う警部である。しかし、物語の終盤、そのジャン・バルジャンに命を助けられたことで、自殺してしまう。

 

ジャベールの信仰について

一番違和感があったのは、ミュージカル版のジャベールのソロ曲"Stars"だ。

日本語版歌詞だと意味がとりづらいので、拙いながら和訳をつけてみた。

There, out in the darkness
A fugitive running
Fallen from god
Fallen from grace
God be my witness
I never shall yield
Till we come face to face
Till we come face to face

暗闇の中から逃亡者が走り出る

神より堕落し、恩寵を失った者

神はおれの証人

対峙するまで許すものか

He knows his way in the dark
But mine is the way of the Lord
And those who follow the path of the righteous
Shall have their reward
And if they fall
As Lucifer fell
The flame
The sword!

彼がいくのは闇の道

だが、おれは主の道をいく

義の道をいくものは報われよう

しかし、もしもつまづけば

堕落したルシファーのごとく

炎と剣の餌食となる!

Stars
In your multitudes
Scarce to be counted
Filling the darkness
With order and light
You are the sentinels
Silent and sure
Keeping watch in the night
Keeping watch in the night

星々よ、

あまりに多くて数えることはできないが

秩序と光で闇を満たす

あなたこそ番人

静かに確実に夜を見張る

You know your place in the sky
You hold your course and your aim
And each in your season
Returns and returns
And is always the same
And if you fall as Lucifer fell
You fall in flame!

占めるべき場所を知り

定めどおり空を巡る

季節ごとに同じことを繰り返す

そんな星々であろうとも

ルシファーのように堕落すれば

やはり炎に焼かれるだろう

And so it has been and so it is written
On the doorway to paradise
That those who falter and those who fall
Must pay the price!

それは定め

楽園の入り口で

よろめく者や堕落する者は

代償を払わなければならない!

Lord let me find him
That I may see him
Safe behind bars
I will never rest
Till then
This I swear
This I swear by the stars!

主よ、彼を捕らえさせたまえ

その時までおれは休むまい

星に誓う

日本語版の歌詞では宗教的な表現は省略が多いが、英語の歌詞をみるとずいぶん宗教的な表現が多いことに気づく。

ミュージカルのジャベールは、明確に、法の根拠は神であると認識し、神への帰依を表明している。彼の認識では、法は、星の運行などの自然現象と同様、神の定めた秩序の現れである。だから、彼が法を守るのは神への信仰を意味している。

 

"Stars"の歌詞のもとになったのは、原作の以下の部分だと思われる。これは、ジャベールがフォンティーヌの前でジャン・バルジャンを逮捕する場面の一節である。

ちょっと長いけど、非常にかっこいい文章で好きなので一段落まるごと引用する。

はっきり意識していたわけではないものの、自分が社会に必要な人間であり、しかも成功した人間だとおぼろげながら直感している彼、ジャヴェールは、われこそ正義、光明、真実を体現しているのであり、悪を粉砕する神のような任務を帯びていると感じていた。彼はじぶんの背後と周囲の限りなく深いところに権威、道理、既判事項、法的良心、公的評決などというありとあらゆる星をもって秩序を保護し、法律の雷鳴をとどろかせ、社会的制裁を実行し、絶対的なものに協力する覚悟だった。彼は栄光のなかにすっくと立っていたが、その勝利にはわずかながら挑戦と戦闘の色が残っていた。傲然と立ち、輝かしい彼は、蒼天のただなかに、残忍な大天使の超人的な獣性を見せびらかしていた。彼が成しとげる行為の恐ろしい影は、ぎゅっと握ったそのこぶしに、社会の剣のかすかな輝きとなっていた。幸福と憤怒にみちた彼は、その踵のしたに犯罪、悪徳、反逆、遊蕩、地獄を踏みつけにし、微笑んでいた。だが、この怪物めいた聖ミカエルには否定しえぬ偉大さがあった。(第一部第八篇第三章)

いっけん"Stars"の歌詞と同じようなことが書いてあるように見える。

ミュージカルの"Stars"では、ジャベールはジャン・バルジャンをルシファーに例えているので、結果的に自分はルシファーを倒したミカエルに相当する存在であると認識していることになる。

一方、原作では、ジャベールをミカエルに例えているのはジャベール自身ではなく、作者(ユーゴー)であることに注意が必要である。ジャベール自身は、「法=正義」と認識しており、それが神の意志にかなうことであるということも感じている。しかし、神への信仰のために法を守るのではない。彼の第一目的はあくまで法秩序を守ることであり、神はむしろそれを正当化するだけである。

 

ジャベールと権威について

原作では、ジャベールが法や権威を絶対視するようになったのは、彼の生い立ちに由来すると説明されている。

ジャヴェールは監獄の中で女トランプ占い師の子として生まれた。女の亭主は漕役刑に服していた。成長するにつれて、彼はじぶんが社会の外にいると考え、その社会に復帰することをあきらめた。彼は社会が、ふたつの階級の人間、すなわち社会を攻撃するものたちと社会を保護するものたちを容赦なく締め出していることに気づいた。彼にはこのふたつの階級のどちらにするのかという選択しかなかった。それと同時に、自分にはどうやら厳格さ、几帳面さ、実直さの素質があるらしいと感じたが、これらの素質がじぶんもそのひとりである、あの放浪の種族にたいするなんとも曰く言いがたい憎悪とこんがらがっていた。彼は警察にはいった。(第一部第五篇第五章)

 要するに、「ジプシー」で犯罪者の子という生い立ちのため、同属嫌悪的に社会の周縁的存在を憎みむようになった。彼が社会的に承認されるためには、自分を周縁的存在に追いやった社会秩序を、逆説的に、過剰に肯定し絶対化する必要があったということだ。

 

ミュージカル版でも"The Confrontation"で、一応、生い立ちについては説明されているが、思想に及ぼした影響については特に言及はない。

I was born inside a jail

I was born with scum like you

I am from the gutter too!

おれは刑務所で生まれた

お前と同じように、クズと共に生まれ

どん底から這い上がった!

 

ミュージカルのジャベールは明らかに強い信仰に基づいて、警官としての仕事を全うしている。一方、原作のジャベールはあまり信仰に意識的ではない。聖職者に敬意は示すが、それは信仰のためではなく、むしろ教会の(現世における)権威のためである。

ジャベールの本質、彼の領分、息がつける環境とは、あらゆる権威に対する尊敬だった。(中略)教会の権威はもちろん、あらゆる権威の第一のものだった。(第一部第八篇第五章)

彼はいささかもいわゆるヴォルテール主義者でも、哲学者(フィローゾフ)でも、不信心者でもなく、それどころか本能によって既存のカトリック教会に敬意をいだいていた。だが、その教会を社会全体のなかの厳かな一部として知っていたにすぎない。秩序こそが彼の教理であり、それで充分だった。成人して官吏になって以来、彼はみずからの信仰心をそっくりそのままと言っていいほど警察にゆだねた。そして前述のように、いささかも皮肉をまじえず、司祭のような態度で密偵を務めていたのである。彼の修道院長はジスケ警務総監であり、神という、あのもうひとりの修道院長のことなど、この日まで考えたこともなかったのだ。(第五部第四篇)

 

ジャベールの自殺

原作とミュージカル版とで、ジャベールの「神=秩序=正義=法」という認識は共通しているのだが、ミュージカル版ではそれを明確に意識して行動しているのに対して、原作では、あくまで無意識的にぼんやりと感じているだけであるという点が異なっている。ミュージカルには「地の文」がないから、そうならざるを得ない面もあるが・・・

とにかく、この相違点は、彼の自殺の理由にも関わっている。

 

まず、ミュージカルのジャベールの自殺のシーン"Javert's Suicide"をみてみる。

I am the Law and the Law is not mocked
I'll spit his pity right back in his face
There is nothing on earth that we share
It is either Valjean or Javert!

おれは法だ、法は嘲られてはならない

あいつの慈悲なんか突き返してやる

我々が共有するものは何もない

ジャン・バルジャンかジャベールか、どちらかだ

(中略)

I'll escape now from the world
From the world of Jean Valjean
There is nowhere I can turn
There is no way to go on…

ジャン・バルジャンの世界から逃げよう

おれが戻れる場所はない

おれが行く場所はない

 法を守り神の定めた秩序に従うというジャベールの信仰形態に対し、敵にも慈悲を与えるというジャン・バルジャンの信仰形態がぶつかった。ジャベールの認識では、この2つは絶対に相容れない、二項対立的なものである。

はじめはジャン・バルジャンの信仰を受け入れられないが、最後にはジャン・バルジャンの信仰の方が正しいと感じる。そこでは、今まで「正義」だと思っていたものは、もはや正しくない。価値感が覆されたことに耐えられず、自殺してしまう。

キリスト教では罪である自殺をしているのは、信仰を失ったわけではなく、自分は救われる価値がないと思ったのだろうと思う。

 

一方、原作のジャベールは、信仰に意識的ではなかった。だからこそ、ジャン・バルジャンに命を助けられ、法とは別の道徳という価値感を目の当たりにし、衝撃を受けるのである。

物語の冒頭、ジャン・バルジャンがミリエル司教から慈悲を受けて驚くのと同様、ジャベールもこれまで道徳や慈悲に触れたことがなかった。だから、人間社会を、秩序や権威といったピラミッド型のものとしてしか認識できなかった。

これまで頭上にいただいていたものはすべて、彼の目には明確で、単純で、清澄なものとして映っていた。(中略)だがいま、ジャヴェールは仰向けに転倒し、上方の深淵という、これまで目にしたことも耳にしたこともないものの不意の出現に愕然としていた。(第五部第四篇)

それまでのジャベールの世界は、秩序で整理された単純なものだったが、良心という新しい尺度によって、複雑になった。正義はもはや1つではなくなった。ジャベールは世界の複雑さに耐えられなくなって死んだのである。

 

ただし、ミュージカル版と違い、ジャベールは良心というものが受け入れられなかったのではない。原作のジャベールは自殺の前に一つ行動を起こしている。職場である派出所に行き、囚人の扱いを人道的にするように意見書を書き、それから川に飛び込んで死んだ。

ミュージカル版では描かれていないこの行動は何だろう?法の管轄であるはずの囚人の扱いについて、良心を導入する。原作のジャベールは、法と道徳は完全に相反するものではなく、折り合いをつける方法があることを分かっていた。それでも、彼はその新しい複雑な世界で生きていくことを良しとしなかった。

 

 おわりに

法の与える刑罰よりも、人間の良心や慈悲が本当の救いをもたらすという、物語全体のテーマが明確に描かれているのは、ミュージカル版かもしれない。ミュージカルのジャベールは、強い意思で、ジャン・バルジャンとは逆の信仰を持ち、明確に打ち倒されるから。

しかし、自分としては、人間らしくて少し複雑な、原作のジャベールの方が好きだなという話でした。

 

 

この記事では、原作は平凡社ライブラリー版から引用しました。一番新しい翻訳のため、当世風で読みやすく、おすすめです。

 

See also:

舞台を見にいったときの感想。

iceisland.hatenablog.com

レミゼ語り第一弾の記事。左翼度強め。

iceisland.hatenablog.com