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観劇日記

【感想】『ミス・マルクス』2020年

渋谷のシアター・イメージフォーラムで『ミス・マルクス』を見てきた。

カール・マルクスの末娘エリノア・マルクスを主人公とした伝記映画だ。以下ネタバレがあるのでお気をつけください。

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エリノア・マルクスという優秀な女性が、家族との関係性の中で疲れ果ててしまうという、辛いストーリーである。

エリノア・マルクスは優秀で熱心な社会主義者だが、彼女の人生には、両親の介護、甥の育児、パートナーの病気の世話など、ケア労働がどんどんのしかかってくる。

しかし、一番エリノアを疲弊させるのは、父やパートナーの性的な不誠実さである。エリノアは、両親のことを愛し合う理想的な夫婦だったと思っており、そういう関係をカップルのあるべき姿と信じている。しかし、物語の中盤、実は、父は使用人に産ませた隠し子をエンゲルスに押し付けて育てさせていたことが明らかになり、大ショックを受ける。さらに、事実婚のパートナーであるエドワードも、エリノアが稼いだ金を使い込みつつも、若い愛人と浮気していたことが分かる。

現代人の感覚だと、浮気野郎の父親やパートナーなんて捨てちまえと思うが、エリノアは父やパートナーを愛し続ける。もちろん、この時代、現代よりも女性には貞節が求められたはずだ。しかし、エリノア自身は決して保守的な人間ではなく、女性の権利に関して非常に現代的な感覚をもったフェミニストである。性的関係についても、法律婚に囚われず、ポリアモリーという選択肢も存在すると理解したうえで、事実婚・モノガミーという道を選ぶ。エリノアが、父やパートナーを捨てなかたったのは、時代的にそうせざるを得なかったのではなく、たとえ報われなくても自分の信じる理想の愛の形に向かって「前進」したのではないかと感じた。

エリノア自身が語っているように、「理解がある」はずの男性でも、性的関係においてはパートナーの尊厳を傷つける行動をするというのは、現代でもよくあることだ。個人的には、活動家が自由な性愛と称してポリアモリーや婚外セックスを称揚する風潮は、男性に都合が良いばかりで嫌いなので、エリノアには結構共感した。

 

物語の中盤、エリノアとエドワードが『人形の家』を演じるシーンが象徴的に使われている。はじめ、演劇だということが示されず、本当にエリノアとエドワードが別れ話をしているのかと思わされるが、実は・・・という展開で、キレがある。何しろ、ノラの台詞はエリノアの境遇そのものだ。2人が『人形の家』を演じたのは史実だそうだが、何を思って演じたのだろうか。

ノラが夫を捨てずに家庭を修復するという翻案をしたエリノアに対して、エドワードはノラが自殺すればロマンチックだと語るのは、明らかに2人の結末の伏線である。このジョークを「面白くない」と言ってくれる女友達がいたのが救いだった。

 

エドワードとエリノアの恋が、エドワードがパーシー・シェリーについて講演するシーンから始まっているのもちょっと示唆的だと思った。パーシー・シェリーは詩人で、妻のメアリー・シェリーは『フランケンシュタイン』の作者として有名、メアリーの母は有名なフェミニストのメアリ・ウルストンクラフトであるが、パーシーの女性関係のカスさはエドワードと同程度である。同時代の男の多くがカスだっただけで、特に深い意味はないのかもしれないが・・・

 

劇中音楽はクラシックに加えて、ところどころパンクが使われている。面白いけど、パンクの場面が少ないし、ちょっと唐突な印象を受けた。パンクな場面をもっと増やしてくれたらいいのに。

エンゲルスが死んで「インターナショナル」パンクバージョンが流れるシーンはめちゃくちゃ盛り上がった。けど、何でここでパンクなのかはよく分からない。社会主義者の仲間たちはみんな教養があるから、ちゃんと「インターナショナル」をフランス語で歌えてすごい。

 

この時代の風俗に詳しくないが、衣装やセットは当時に忠実に作っているように感じられた。エリノア達は社会主義者といえども上流階級なので、けっこう良い暮らしをしているんだな。でかい天蓋つきのベッドにエンゲルスが寝ているシーンはなんか笑ってしまった。

衣装や壁紙に、ウィリアム・モリス風のものがたまに登場していて、とてもお洒落で好みだった。ウィリアム・モリス自身は映画には登場しないが、彼も社会主義者であり、エリノアと活動を共にした同志である。特に、冒頭のマルクスの葬式のシーンでエリノアが着ているストール(?)の柄は、ロゴにもなっているので、こだわりがあるんだろうか。

 

なぜか、エリノアが北村紗衣先生を彷彿とさせた。髪型が似ているのもあるが、物語の舞台はイギリスだし、フェミニストだし、演劇に造詣が深いのも似ている。