RED & BLACK

観劇日記

メタな演出が彩る家父長制|ミュージカル『ノートルダムの鐘』2022年

ノートルダムの鐘』見てきた。ディズニーのアニメ映画版は未見で、音楽以外は予習せずに行ったのだけど、とても楽しめた。

 

基本情報

2022年6月25日(土)ソワレ@KAAT神奈川芸術劇場


f:id:iceisland:20220724232757j:image

 

キャスト

カジモド:寺元健一郎

フロロー:村俊英

エスメラルダ:岡村美南

フィーバス:神永東吾

クロパン:髙橋基史

 

感想

とにかく演出が面白い!生の舞台でしかできない演出がたくさん盛り込まれていて、すごく楽しかった。

はじめ全員灰色のローブを着ていたのが、ローブを脱ぐと衣装を着ていて、役に「なる」。ラストでも「この物語も終わりが来た」「あなたに心に何かが 響いていますように」と「物語」であることが強調される。

特に、カジモドの登場シーンでは、舞台上に登場したカジモドが、舞台上で背中に瘤を背負い顔にメイクをして「怪物」のカジモドに「なる」。逆に、ラストシーンでは、カジモドは顔のメイクがなくなり、他の「人間」たち全員にはいつのまにか顔のメイクが現れている。この演出によって「人間と怪物 どこに違いがあるのだろう」(いや、ない)という作品全体のメッセージが非常に率直に伝わるし、それでいて陳腐でなく、めちゃくちゃかっこいい。

 

アンサンブルの使い方にもワザが効いていて痺れる。

アンサンブルやキャストが地の文のように歌ったり喋ったりするのが面白い。本当に小説を読んでいるかのような、小説の中の世界に入り込んだかのような効果が出ていた。古代ギリシア演劇では説明的な合唱を「コロス」というらしいが、本作では一人ずつソロでこれを行っているのが面白い。この演出のために、アンサンブルがソロで歌う場面が多く、アンサンブルのクオリティが粒ぞろいの四季じゃないとできない演目かもなあと思った。

通常のアンサンブルとは別にクワイヤという歌唱だけのアンサンブルもいて、これがすごい迫力。プログラムを見ると、クワイヤには声楽がご専門の方々も多く参加しているようで納得した。ミュージカルを見て、音の余韻がホールに響いてると感じたのは初めてですよ。

ただ、どうしても、こんなに音楽が素晴らしいのだから生オケにしてほしいという気持ちになってしまった。あとチケット代どれくらい出せば生オケになりますか?

クワイヤは聖歌を模したラテン語の歌唱をしているのだが、プログラムに聖歌の解説があり、ものすごく助かった。もちろん完全に意味が分かるわけではないが、キリエ、ディエス・イレ、リベラ・メに気づけるだけでかなり理解が深まるように思う。

 

大道具や小道具も凝っているし豪華で、さすがディズニーという感じだった。

鐘が本当に動くのがすごいし、小道具は細かいところまで凝っている。ストップモーションのとき、エスメラルダがスカーフを振り上げた状態でストップモーションに入るシーンで、スカーフが振り上げた状態のまま固定されたやつに変わっている持ってるのが芸が細かくて好きだった。

 

ここまでストーリーについて全く触れていない。ストーリーの話もします。

村俊英さんの演技力もあいまって、フロローのインパクトががすごかった。もう、主人公フロローじゃん。

タイトルであるノートルダム聖堂は、宗教的秩序を象徴しており、フロローはその宗教的秩序を体現しているキャラクター。

フロローやカジモドがノートルダム大聖堂を「聖域」「家」と呼ぶとおり、この作品において、宗教的秩序とは家父長制そのものだ。だから、フロローのキャラクターには、権力を持つ男性の「悪さ」が詰め込まれている。

その最たるものが、「エスメラルダが誘惑してきた」とか言っちゃうところ。すげえ気持ち悪いけど、でも現代の性被害者に対するセカンドレイプと同じだよね。この「悪さ」は要するにミソジニーゼノフォビアなわけで、今でも跳梁跋扈している。

洋の東西や時代を問わず、宗教的な権威は家父長制と一体となってそれを擁護してきた。この物語は中世のカトリックだけど、日本では明治維新以降は天皇制が家父長制を正当化してきたし、現代では日本会議統一協会だ。

とはいえ、この作品は信仰までも否定しているわけではない。ノートルダム大聖堂を模した大道具もクワイヤの歌声もとても美しい。原作は読んでいないが、『レ・ミゼラブル』を読んだ限り、ユーゴーは宗教の権威主義的な面は嫌いだが、信仰の素晴らしさは認めていると思う。

エスメラルダは死に瀕して「いつか」と祈るが、残念ながら20世紀になってもジプシーは絶滅させかけられるし、現代でも排外主義者が世界中で権力を握っているし、人類は全然賢くなってませんごめんなさいという感じだ。そこでラストの「あなたの心に何かが 響いていますように」が突き刺さるわけですよ。まだまだ人類賢くなってないし、何ならあなたも愚かな人間の一人でしょ?というメッセージ。はい・・・

 

カジモドも結局フロローと同じく、聖域(=イエ)に連れてきて閉じ込めるという愛し方しかできなかったのが悲しい。エスメラルダが選んだのは、「俺がジプシーの仲間になってついて行く」と言うことができたフィーバス。カジモドは障碍によって社会から周縁化された存在で、ジプシーたちの中に居場所を見つけることもできたかもしれないのに、家父長制的な秩序を内面化していたせいで、そうはできなかった。

クロパンの「街を!逆さまにしてやろう!」の台詞、周縁化された集団が社会秩序をめちゃくちゃにするポテンシャルを持っていることが端的に示されていて、めちゃくちゃかっこいい。そしてそのクロパンは実は狂言回し。だからこれは周縁化された人々の物語なのだ。

 

アンコールが7回もあり、流石にうんざりした。端の席だったら帰るけど、そうでなければ帰れないので、勘弁してほしい。カーテンコールが嫌いな理由の一つは、いきなり役から役者に戻るのが嫌だからなのだが、この作品はラストシーンで既に役者に「戻って」いるので、精神的なダメージはあまりなかった。

 

See also:

ユーゴーつながり。

iceisland.hatenablog.com

原作のジャベールはミュージカルのジャベールほど信心深くないという話をしています。ミュージカルのジャベール、フロローに似てるかも。

iceisland.hatenablog.com