韓国遠征、最後の演目は『アイーダ』でした。
この日はマチネで『レベッカ』を見た後、高速で移動し、ソワレで『アイーダ』を見たので脳内がパンクしそうになった。前回もそうだったのに、学習していない・・・
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2020年1月12日(月)ソワレ@ブルースクエア・インターパークシアター
キャスト
アイーダ:ユン・コンジュ
ラダメス:チェ・ジェリム
アムネリス:チョン・ソナ
ゾーサー:パク・ソングォン
メレブ:ユ・スンヨプ
アモナスロ:オ・セジュン
エジプト王:キム・ソンドン
感想
原作は有名なヴェルディのオペラ『アイーダ』で、話の流れはあまり変わっていない。原作は主人公のアイーダとラダメスが死ぬ悲劇であり、ディズニーがミュージカル化したら悲劇じゃなくなると思いきや、なんとミュージカル版でもその結末は変わっていない。
登場人物を表にまとめてみた。死人は3人→4人となんと増えている。
キャラクター | オペラ版 | ミュージカル版 |
アイーダ | エチオピアの王女。死ぬ | ヌビアの王女。死ぬ |
ラダメス | エジプトの将軍。死ぬ | エジプトの将軍。死ぬ |
アムネリス | エジプトの王女 | エジプトの王女 |
ファラオ | エジプトの王 | エジプトの王 |
ランフィス | エジプトの祭司長 | いない |
ゾーサー | いない | ラダメスの父 |
アモナスロ | エチオピアの王。死ぬ | ヌビアの王。死なない |
メレブ | いない | ヌビア人奴隷。死ぬ |
ネヘブカ | いない | ヌビア人奴隷。死ぬ |
アイーダはオペラ版から結構性格が変わっている。オペラでは、父(アモナスロ)と彼氏(ラダメス)との板ばさみになって可哀想な、従順な女性だが、ミュージカルでは剣ンを振り回したり、ラダメスに「貴方は私のこと何も知らないでしょ」と言ってつっかかったり、かなり気が強い。アメリカのミュージカルの主人公らしい性格に改変されている。そのせいで、何でラダメスのことが好きになったのかよくわからない。ラダメスは、登場シーンの曲(Fortune Favor the Brave)のせいで戦バカっぽい印象を与える。
反対に、アムネリスはミュージカル版では賢く変わっていて、裏主人公といってもいい地位に昇進している。まず、ミュージカルの冒頭から、現代の博物館に納められたアムネリスの像(ミイラではないと思う・・・)が語りだすところから物語が始まる(Every Story is a Love Story)。つまり、このミュージカルの語り手はアムネリスなのだ。この演出は若干手に垢がついている気もするが、現代人たる我々観客が遺物を通じて古代世界へ誘われるのはやはり素敵で大変好き。アムネリスのソロ曲(My Strongest Suit)も、彼女がオシャレのことしか考えていないバカ女(ずいぶんステレオタイプだが)とは一味違って戦略的であるところを教えてくれるいい曲だと思う。このシーンの演出は、はじめアムネリスがお風呂(プール)に入るシーンからはじまり、背景がプールを上からみたところになってて、泳いでいるように見えてカッコいい。こういう演出は流石ディズニーだなと感じますね。終盤、アムネリスとアイーダとラダメスを裁くシーンでは堂々たる王女に成長している。
それに比べてアイーダとラダメスはなあ~・・・。このカップルがモタモタしているせいでメレブやネヘブカが死ぬので、こいつらアホではという気持ちになってしまった。メレブは好きなキャラクターなのですが(奴隷からラダメスに拾われて部下になるといういきさつが漫画の「王家の紋章」のウナスに似ているので)、メレブ役のス・ヨンスプさんは随分かわいい感じだった。
今回はじめてディズニーミュージカルを見たのだが、全体的に、背景や大道具は豪華なものは少なくて驚いた。世界各国の劇場で上演することを前提にして作られているんだなあ。
時代考証について。原作オペラではアイーダやアモナスロの国は「エチオピア」だが、ミュージカル版では「ヌビア」。ヌビアはアスワン(アブ・シンベル神殿があるところ)周辺から南の地域を指す呼称である。エジプトがヌビアと戦争し、植民地化するという設定上、物語の舞台は新王国時代(紀元前1600年~1000年ごろ)だと思われる。新王国時代の後の第三中間期ではヌビア人がエジプトを支配する期間もある。ミュージカル版では名言されていないが、オペラ版ではエジプトの都はテーベである。テーベが首都だったのも新王国時代。フィクションに登場する、われわれがイメージする「古代エジプト」の要素のほとんどが新王国時代のものなので当然とも言える。
エジプトの宰相であるゾーサー(この名前、エジプトっぽくないな)は「ピラミッドを建てよう(Another Pyramid)」と歌うのは気になった。ピラミッドが建てられていたのは古王国時代(紀元前2700年~2200年ごろ)で、1000年もずれているんですが・・・ただし、このシーンでは「ピラミッドを建てる」というのは「ファラオをその中に納めてしまう」=ラダメスがファラオになるということを意味していて実際にピラミッドを建てるということではないのかもしれない。また、ピラミッドはラダメス・アイーダ・アムネリスの三角関係の伏線にもなっている(2幕の3人の重唱シーンで背景にピラミッドが現れる)。
舞台装飾や衣装も時代地域がバラバラ(エジプトですらないものもある)なのはわざとなんだろうか。緞帳のウジャト(ホルス)の眼はいいとして、現代のアラブのお土産にありそうなガラスのランプが吊り下げられていたりとか。古代エジプトでは既にガラスは使われていたそうだけど、せいぜいビーズとか器とかで、ランプはないでしょう。あと、古代オリエントの地図もなんだか変だなと感じたけど何が変だったのか忘れた。アムネリスとラダメスの結婚式の衣装、アムネリスの体をすっぽり包む筒状の白いベールは、なんなの・・・現代では婚礼衣装といえば白だから、形だけなんとなく古代っぽくしてみた(古代っぽいのか?)だけ?
舞台装置が全体的に、「現代風をベースに、なんとなく古代エジプトっぽい・中東っぽいものをごちゃ混ぜにトッピングしてみた」にしか見えない。完全に現代風か無国籍風にするか、時代考証をキッチリやるか、の二択ではないだろうか。原作のオペラも時代考証はめちゃくちゃでオリエンタリズム全開ですが19世紀の作品だから仕方ないが、現代にミュージカル化する際に無批判に引き継ぐのは良くないでしょう。
ゾーサーの衣装はディズニー・ヴィランらしく真っ黒で、部下たちは変な棒術みたいなので戦う。まさしくダースベイダーみたいな・・・悪役を変な東洋風にするのももう飽き飽きしませんか?
ミュージカル版は帝国主義批判が基調にある。オペラ版でははじめからアイーダは奴隷ですが、ミュージカル版ではラダメスがヌビアを侵略して女性たちを奴隷にして連れて行く残虐さが丁寧に描かれているし、ヌビア人奴隷のメレブや、ネヘブカたち捕虜も登場して、抑圧された人々を描いている。それなのに演出がオリエンタリズム=帝国主義的になってしまっているのはちぐはぐで残念だった。
今回の公演では、アイーダ役のユン・コンジュさんは顔を茶色っぽく塗るブラック・フェイスをしていた。英語圏ではヌビア人の役は黒人が、エジプト人は白人が演じることが多い。エジプト人だって白人ではないと思うが、侵略者=白人、被侵略者=黒人のイメージを使っているのだろう。日本(劇団四季)では見た感じ顔塗りはやっていないようだ。私見では、日本や韓国では被抑圧者を描くのに必ずしも黒人にする必要はなく、自分ごとに感じられるマイノリティに変更してもよいように思う。ストレート・プレイの世界では、シェイクスピアのオセロー(黒人)をアイヌにする翻案もあるそうだ。ミュージカルでは(特にディズニーでは)演出を変えることが難しいのは、残念なところ。
どうでもいいけど、金ぴかの衣装を着たファラオがラダメスとアムネリスの結婚式を執り行っているところが、なんとなく新宗教の結婚式みたいで可笑しかった。