絵のない絵本

ミュージカル、オペラ、メタルなどの感想とか。

【感想】はじめてのテニミュ(全国立海3rd)

会社の同期に連れられて、はじめてテニミュに行ってきた。チケットを取ってくれてありがとう。

私の経験について以下に少し書いておく。

テニミュは初めて、曲は大体知っている(もともと空耳動画で知っていたのと、予習して行った)

2.5次元ミュージカルはあんステ(あんスタのミュージカル)に行ったことがある

・漫画原作のミュージカルだと、デスノート王家の紋章に行ったことがある

 

概要

9月23日(月・祝)マチネ 東京ドームシティホール

ミュージカル「テニスの王子様」3rd season 全国大会 青学vs.立海 前編

キャストは多いから公式サイトを見て。

 

あらすじ

主人公リョーマ君の所属する青学テニス部の全国大会決勝戦当日、リョーマ君は何故か記憶喪失になってしまっていた!先輩たちの試合の結果、2-2となり、リョーマ君と立海の部長である幸村先輩の試合を残すのみとなった。後編に続く・・・

 

感想

正直、全体的に単調だなと感じてしまった。

当たり前だけど、ずっとテニスしている。曲も結構似たような感じ(何でそういう印象を受けるんだろう?)。ただし、ミュージカルでは一般的な同じフレーズの違う場面でのリフレインはあまりない。

劇中で4つの試合が登場するけれども、全員、感情が「友情・努力・勝利」しかない。差異化されているのは記憶を失ったリョーマ君だけ。最後の方でリョーマ君が「なぜ皆はそんなに勝利を追い求めるのか?」という問いを発するところが一番重要な部分だと思うけれども、結局解決されないまま前編は終わってしまうので悲しい。

テニミュは、物語というより、スポーツの試合を鑑賞することに近いのかもしれない。

あと、衣装が各学校のユニフォームなのも、キャラクターが見分けにくいのであまり舞台向きではない。こう考えていくと、スポーツ漫画ってかなりミュージカルに向いていない題材なのではないか。ただし、照明を使ってテニスのボールを表現する方法はかなり上手くいっていて、本当にテニスに見えた(本物のテニスを見たことがないけれど)。キャラクターが前に出てくるとネットが避けるようにして後ろに下がったり回転したりするのも面白かった。たぶん、ネットが動いているのではなくカメラ(=我々の視点)が動いているという表現なのだと思う。

 

乾くんと柳くんは幼馴染、とか、人間関係については原作を知らないと分からない部分も多かった。数十人の群像劇というのはとうてい2,3時間に収まりきるものではないので、それぞれの試合は各キャラクターのドラマの中のほんの一部分でしかない。そのため、描かれている場面までの経緯については(少し回想シーンが入るものの)観客の知識で補う必要が生じている。

ドラマとしてスッキリさせるためには、「全国立海」のように時系列ごとに区切るのではなく、特定のキャラクターのエピソードに絞った方が良いと思う(宝塚のベルばらみたいに「リョーマ編」とか「不二編」とか)。しかし、そのような構成にすると主要キャラクターの出番が多くなり、現在のテニミュを演じている若手ミュージカル俳優では演じられない役柄になってしまう。個人的には、主要キャラは若手ではない俳優さんが演じて、出番の少ないキャラで若手が経験を積めばいいのではと思う。

全体のストーリーよりも各キャラの出番重視、という面ではキャッツが近いかもしれない。でも、キャッツはロイド=ウェーバーの名曲で成立している舞台だからなあ・・・

  

全国立海だけで前後編に分かれているのは嬉しくなかった。いくつかに分かれている芝居って他にあるだろうか?舞台を見るときは、映画よりも自分から入っていかないといけないので、流れが途切れることはなるべくしないでほしい。

その反面、ストーリーにいらないよねと思う部分が多い。四天宝寺の面々はいなくても成り立つと思う(もちろん彼らのファンを呼ぶためなのは承知のうえ)けれども、3曲くらいあった。「日替わり」(2幕始めにある漫才のパート)も、あんまり笑えないからない方がいいな。(これも、繰り返し来てくれるファンのためなのは分かっている。私を連れて行ってくれた友人は同じ公演の8回目だと言っていた)

ファンというか繰り返し来場するマニアに来てもらう収益構造なのだろうけど、そのせいでまとまりが悪くなってしまっているのはいただけない。一個の洗練された作品が見たい。けどそれだと儲からないんだろうな。

 

文句ばかり書いているけど、わりと楽しめたし、やっぱり終わってしまうと寂しく感じた。一番好きな曲は柳君と赤也君の曲と、最後のアンコールの曲「頑張れ負けるな必ず勝て」かな。

赤也君をやっている前田隆太朗さんは歌も演技も上手かった。菊丸君役の田口司さんと大石君役の江副貴紀さんはイキイキとしていて良かった。幸村先輩は、増田俊樹さんのイメージが強いけど立石俊樹さんも動きが優雅で素敵だった。

 

かわいい男の子たちを応援するという面では楽しかったけど、ミュージカルに求めているものがあまりないという点でNot for meな舞台だったなという感想でした。

 

【感想】「ミュージカル エビータ」

遅ればせながらエビータの感想。

 

2019年8月25日(金)マチネ 相模女子グリーンホール

エビータ:鳥原ゆきみ

チェ:飯田洋輔

ペロン:佐野正幸

マガルディ:高橋基史

ミストレス:藤原加奈子

 

劇団四季の全国公演に初めて行きました(というか自由劇場以外で初めて観劇した)。

 

エビータはロイドウェーバー&ティム・ライスコンビ作なのだけど、ジーザス・クライスト・スーパースターと同じくらい尖っていた。セックスで成り上がる話なので当たり前だけど、性的に下品な歌詞が多い。ティーンエイジャーのエヴァが「私と寝たでしょ」と言ったり、「(娼婦に)ベッドの外で声を上げさせるな」とか。日本のミュージカル・ファンはセックスを連想させる演出が嫌いな人が多いらしいけど。

エヴァは承認欲求が大衆からの人気に結びついてしまって、それによってしか自分の行動の善悪を計ることができなくなってしまったお化けなのでしょうね。そんな彼女を魅力的に演じられるかどうかがこの作品に説得力を与えるキモだと思うのだけど、あまり上手くいっていなった印象。2階席なのもあって台詞・歌詞も聞き取りづらく、入り込めなかったのも原因かもしれない。相模グリーンホールは良いホールのはずだけど、やはりミュージカルをやるのに適した劇場ではないのだな。

「チェ」がゲバラなのかどうか?浅利演出だと初演と同じくゲバラっぽい衣装だけど、海外公演の動画見ると最近はそういうのはあまりないようだ。ティム・ライスゲバラのつもりではなく一般市民のつもりだったらしい。チェはエヴァの「慈善事業」を批判するが、チェがゲバラかどうかでかなり意味が違ってくるなあと。このあたりを予習せずに行ったので良くなかった・・・ティム・ライスの政治的立場についての情報が結局見当たらず。

1幕の最後「ニュー・アルゼンチーナ」で民衆が「今ぞ日は近し」「暁は来ぬ」(革命歌「インターナショナル」の冒頭)と言い出したので笑ってしまった。原語歌詞では単に"A new Argentina, the workers' battle song A new Argentina, the voice of the people
Rings out loud and long"と言っているところなので単に浅利慶太の趣味というか、革命歌といえばインターナショナルと思ったゆえの遊び心ですよね?

 

この話難しいのにあまり情報を得られないの困るな・・・JCSと違って熱狂的なファンはあまりいないっぽい。(BLじゃないから?)JCSが好きなのに、エビータをチェックしていなかったの愚かだったな。というかロイドウェーバー作品をあまり見ていない・・・あと、「アイーダ」の歌詞がティム・ライスなのも初めて知った。もうちょっと勉強しよう。

 

【感想】「ミュージカル李香蘭」

浅利慶太追悼公演行ってきました。

実は劇団四季はJesus Christ Superstarを5年くらい前に行ったっきり。こんなんでミュージカルファンを名乗っていいのか?という感じですが、浅利演出事務所との分裂騒動を知らずにずっと「私の好きな演目やらないなあ・・・」と思っていたのでした。

 

2019年8月9日(金)マチネ 自由劇場

李香蘭野村玲子

川島芳子:坂本理咲

李愛蓮:樋口麻美

杉本:近藤真行

王玉林:桑島ダンテ

 

作品について

李香蘭川島芳子らメインキャラクタの描写が少なすぎて、いまいち感情移入できなかった。川島芳子の台詞は基本的に浅利慶太の考えを喋っているだけなのが気になってしまう。川島芳子李香蘭の関わりが全く描写されていないし、当時人間として生きた川島芳子の行動とか心情が処刑のシーンまで描かれていないので川島芳子狂言回しである必要性が伝わってこなくて残念。

「マンチュリアン・ドリーム」や「月月火水木金金」のプロパガンダなシーンはとにかく格好良かった。当時の軍歌や歌謡曲の使い方も効果的だった。演出で歴史的状況を十分伝えられているのに、台詞で説明されすぎているが洗練されておらずくどくなってしまっているのがもったいない。日本のミュージカルはオリジナルにしろ輸入ものにしろ、歴史的文脈を説明しすぎる傾向にあり、観客の知的レベルを軽視しすぎだと思う。(実際低いのかもしれないけど、そのために作品の焦点がぼやけてしまうのはイカンのでは)。威勢よく日の丸を振って出征兵士を送り出す国民や、「国際連盟!脱退!」と叫ぶ新聞記者とか、民衆の熱狂が描けているのも流石だった。 衣装もかなり考証がなされているのが感じられた。「満蒙開拓団」の襷ほしい。

結局、全体が2幕の「わだつみ」と「海ゆかば」への前座でしかないのだなあと感じた。それはそれでいいけれども、この2つのシーンって朗読と映像なんだから、ミュージカルである必要がないでしょう?この演出の方法、「夢から醒めた夢」の難民の子供のシーン(というより、Miss SaigonのBui Doi)の発展系なので、この演出が気に入ったのだろうか。

 浅利慶太の書く歌詞はダサいなあと思っていたけど、実際舞台で見ると予想よりは気にならなかった。日本将校や政治家の台詞回しはキレがあって良かったけど参考文献があるからだろうか。

溥儀のシーンはギャグなんだろうか?いまいち笑えないので反応に困る・・・

 

この公演について

生オケじゃないのがやっぱり悲しい。2012年ごろは生オケだったと思うのですが。浅利慶太演出事務所だけじゃなくて、劇団四季本体ももう生オケやっていないとは本当?

野村玲子さんも坂本理咲さんも李香蘭川島芳子を演じるにはお年を召しているのでは・・・若者しか若者の役をやってはいけないと思っているわけでは決してないけれども、やはり若者には見えなかった。川島芳子のダンスが簡略化されていた?のが仕方ないけど少し残念。ただし歌は高音まで綺麗に出ていてさすが。

玉林役の桑島ダンテさんは台湾出身の俳優さんらしく、日本語が少し片言だったけど良かった。中国・韓国出身に日本風の芸名付けさせるの、まだやっているんだなあ。帝国主義的だからやめてほしい。

アンサンブルの方々が歌もダンスも上手いので驚いた(最近帝劇ばかり見ていたので)。日本将校の方々の動きが日本人のおじさんっぽくて良かった。

 

文句ばっかり書いてしまったけど良い作品だと思っているし、この先も再演してほしいけど、難しいんだろうか。日本で唯一(商業的に採算の取れる)オリジナルミュージカルを書ける人を亡くしてしまったのだなあと実感して悲しい。

 

 

【続報】Watainシンガポール公演が中止

Watainのシンガポール公演が当局によって中止にさせられた件(前に書いた記事:Watainシンガポール公演が中止 - 絵のない絵本)について、Watainのfacebookにまた声明が来てた。Asia Timesのインタビューを受けたのに、恣意的に切り取られたのにご立腹らしく、インタビュー全文を公開するとのこと。

インタビュー全体を読むと、Erikはブラックメタルは権威に対する反抗であって、規制するのは逆効果だと言っている。いつでも最後にはサタンの話で締めるのかわいい。

問題の記事の方では、Erikの発言はWatainはサタニスト集団で規制されても仕方がないというふうにも読めるような感じだ。ただし、記事自体は、マレーシアやインドネシアブラックメタルシーンの盛り上がりや、それに対する各宗教の権威からの反応にも触れられていて結構つっこんだ構成になっている。ブラックメタルはハラームだというハラームが出たとか・・・インドネシア大統領がメタラーだと話題になったことがあったけど、ブラックメタルはやはり別かもしれない。

また、記事中でブラックメタルについての説明の中で、「厭世的(misanthropic)」という言葉が出てきている。これはDissectionのジョン・ノトヴェイトが入っていたサタニズム組織Misanthropic Luciferian Orderを念頭に置いていそう。記事にもあるようにWatainのメンバー全員が有神論的サタニストだということだけど、この組織に関わっているんだろうか。そのあたりは今度調べてみたい。

 

 

それにしても、この件の後、YouTubeでWatainの曲を見るとコメント欄が「シンガポール政府が禁止してくれたおかげでこのバンドを知ることが出来たぜ!ありがとう!」みたいなコメントばっかりになってて草。

 

 FacebookのWatainの声明(2019/03/19)

www.facebook.com

シンガポールでの出来事についてもっと読みたい人たちのために、Asia Timesに最近記事が公開された。

エリックはこの記事のためにいくつか質問に答えたが、しかし結局はインタビューのうちのほんの少ししか引用されていなかったので、インタビュー全てをここで未編集で公開することにした。2つを比較することによって、このような全国メディアが、何を公開し、何を公開しないことを選択したのか、思考の糧を得られるだろう。

このような平凡で無意味なことに退屈した人に対しては、イタリアの伝説的なBlack Widow Recordsからリリースされた DEATH SSのトリビュート"Terror Tales"をお勧めしよう。これは2010年の俺たちの曲"Chain of Death"をフィーチャーしている。注文はこちらhttps://blackwidow.it/

Asia TimesによるWatainのインタビュー

01 -シンガポールのK. Shanmugam内務大臣は、Watainのコンサートは「公序良俗に反しており、我々の宗教および社会の調和を乱し」、その名のもとに「テロリストの行動」を奨励すると述べました。あなたたちのバンドは大臣の主張に返答されますか?

E Danielsson: その主張は間違ってはいない。俺たちの芸術表現には確かに、整然としたキリスト教社会に対する正にアンチテーゼとして捉えられるものが多くある。俺たちがすることの多くは、人間存在の影の側面、一般的には呪われ禁止されていると考えられている、宗教や哲学の聖堂に対して踏み込んでいると捉えることができる。ここで、我々は、魔女が踊り、儀式の炎が燃え、混沌が支配する、聖なる領域を発見する。文化的なコンテクストから言えば、これらのことは、過去50年にわたり世界的なヘビーメタル・カルチャーのトレードマークになってきたし、何十年もの間に何度も不安を呼び起こしてきた。そして、人々がそれを恐れることは理解している。ある程度は、そうあるべきだ。しかし当座の問題は、彼らの恐怖が正当化されるかどうかではなく、彼らが他者に対してどんな形態の文化にアクセス可能か不可能かを決定するかどうかだ。なぜなら、良かれ悪しかれ、これはボイコットや検閲によって単純に消え去る短命なものではなく、既に多くの場所でそれぞれの名前を持つ世界的な現象だからだ。結局は、かれらは降参しなければならなくなるだろう。

02-シンガポールのメディア規制当局IMDAは、「宗教的に攻撃的」とみなされた曲を演奏しないことや、宗教や儀式的行為に言及しないことを条件として、当初は公演を許可したと述べました。バンドはそれらの条件に合意しましたか?もしそうであれば、それらの制限は公演にどのように影響を与えたでしょうか?

E Danielsson: ああ、俺たちは実際、演奏を許可されなかった曲のリストを入手した。しかし皮肉なことに、俺たちの曲をよく知っている人でさえ、何らかの形でサタニズムを奨励したり、無法を容認したり、不吉な前兆や悪魔的なことを礼賛したりしない曲を見つけようとする努力は絶望的であるということを証明したよ。俺たちが演奏しないように言われた3曲は見たところ無作為に選んだものだった。ステージ上で起こることについても同じだ。要するに、ショーが行われたとすれば、それらの要求はまったく無効な状態になっていた。もしWatainがステージに上がってパフォーマンスを行えば、検閲しようとしたもの全ての要素があるだろう。だから基本的にこの件は、シンガポールの路上で政府公認の売春婦に対して、性的興奮を公然と招かないように、下品な服装を全部取り除くように言うようなものだ。俺が推測するに、彼らは土壇場でこれを悟り、俺たちのショーを開催の数時間前に中止させるという臆病かつ非常に残念な決断につながったのだ。

03-オンライン署名に15000筆が集まった後、政府は圧力をかけてギグを中止させたようです。地元のファンは本当に落胆しています。芸術的表現の自由を否定する社会やシステムに対するバンドの見解は?

E Danielson: その見解はかなり明確だ。似た方法で統治されている国が他にもあるならば、Watainだけでなく他の多くのバンド、アーティスト、画家、詩人、作家はすべきことをできなくなってしまう。俺は文化の自由を信じているし、各個人が自分が賞賛したり評価するものを判断する権利を信じている。人種や信条にかかわらず、このシンプルな考えに反対する者は敵とみなす。もし、ある社会が、非常に脆弱だからいかなる逸脱的・敵対的な声もふさがなければならないとその社会の支配者からみなされるのであれば、それはおそらくその社会が変化するときだろう。

04-アジアのほかの地域では、バンドはパフォーマンスに反対されたことはありますか?おそらく公共の秩序や文化的背景のため、西洋社会の「サタニック・パニック」と比較して、アジアでは反対は違った形で現れるのでしょうか。

E Danielsson: 俺たちのような音楽や芸術的表現は、常にある程度の反対に遭遇するだろう。俺の知る限り、野生的で情熱的な反抗の精神を象徴し、不満の炎を煽り、従順な服従を嘲笑し、人々が支配者に疑問を抱くのを奨励するのが、俺たちの義務だ。もちろん、現状を必死に維持する者に歓迎されるわけはない!もちろん彼らは我々のことを恐れているし、それは正しい。サタンは反対の神、ただ告発の神だ。政府、法執行機関、宗教機関が、火刑台に連行することをやめない魔女の神である。魔女の声は、俺が歌うとき俺を通じて響く。そして確かに復讐を遂げるであろう。 

 

 

Asia Timesの記事

Asia Times: Hear no evil, see no evil in Singapore

www.asiatimes.com

 

東南アジアのメタルヘッズたちは先週、あるイベントが地獄のようで魅惑的であることを期待して、シンガポールに降り立った。高く評価されているスウェディッシュ・ブラックメタルバンドWatainのライブのパフォーマンスだ。

Watainは削り取るようなサウンドと罪深いイメージで知られており、この裕福な都市国家で初のショーを3月7日に行う公的な承認を与えられていた。しかし、開始のたった3時間前にショーの中止が発表されると、ファンはがっかりさせられた。

 規制機関である、州の情報通信開発庁(IMDA)は、ショーは「憎悪を引き起こし、シンガポールの社会的調和を乱す可能性がある」ため、開催できないと発表した。

内務省(MHA)はこのイベントについて「セキュリティ上の懸念」を提起した。K Shanmugam内務法務大臣は、Watainに対する大衆の抗議を認識しているが、コンサートの中止を求めるオンライン署名が政府を動かしたことは否定した。

署名はショーの前に16000筆以上を集めており、Watainと、10月にシンガポールで公演することになっている比較的落ち着いたスウェーデンヘヴィメタルバンドSoilworkを禁止するように議員に求めている。

署名を開始したRachel Chanは、これらのバンドの曲には、死と自殺を促す「サブリミナル・メッセージ」が含まれていると主張している。

規制によって、宗教的・社会的調和の名の下に公的発言やメディアが厳しく規制される国において、不和を引き起こさせるような、あるいは潜在的に問題となりうるイデオロギーを表明する音楽や他の芸術表現の居場所があるかという議論が引き起こった。

当局がコンサートの中止に対応したことも、批判を呼んでいる。

 

Watainのエージェントによれば、Watainは12月下旬にエンターテイメント・ライセンスに申請し、その過程でショーのセットリストと曲の歌詞を提供するよう要求された。

当初IMDAは、コンサートの2日前の3月5日にライセンスを承認したが、バンドのパフォーマンスとステージの背景に対してして懸念を示した。

ブラックメタルの邪悪な美学と不快な演出に忠実に、Watainのメンバー(全員が有神論的サタニストであると明言している)は通常白と黒のメイクをして、逆さ十字や燃える三又の鉾、動物の死体とともにパフォーマンスを行っている。

IMDAは、バンドが特定の「厳しい要求」を満たすことを条件にギグを許可する選択をし、それには宗教的に攻撃的であると見なされた曲を取り除くことや、宗教や宗教的シンボルについての言及の禁止、ステージでの「儀式行為」の禁止が含まれていた。

年齢制限も課され、18歳未満の人は誰も参加できなかった。イベントの主催者は、約150枚のチケットを販売し、直前での中止によって11,000USドル以上の損害が発生したと述べた。

MHAはWatainについて宗教を侮辱し暴力を助長しているとレッテルを貼っているにもかかわらず、刺激的なギグをなぜ当初承認したのかと疑問にもつ人もいる。中止に続いて、Shanmuganは、反キリスト教的な歌詞を考慮すると、彼らがシンガポールでどのようにパフォーマンスできるか分からなかったと述べた。

彼は、Watainは「バンドの名の下に行われたテロ行為やその他様々なとても攻撃的な発言を奨励するとすら言っている」と記者に語った。

 

「その主張は間違ってはいない」、WatainのフロントマンErik DanielssonはAsia Timesに語った。「俺たちのような音楽や芸術的表現は、常にある程度の反対に遭遇するだろう」、「過去50年にわたり世界的なヘビーメタル・カルチャーのトレードマークになってきたし、何十年もの間に何度も不安を呼び起こしてきた」という文化的背景の中にグループを位置づけて語った。

「しかし当座の問題は、彼らの恐怖が正当化されるかどうかではなく、彼らが他者に対してどんな形態の文化にアクセス可能か不可能かを決定するかどうかだ。」と語る。Danielssonは、演奏することを許されなかった曲のリストをIMDAに渡されたが、その選択は「見たところ無作為」だったという。

「俺たちの曲をよく知っている人でさえ、何らかの形でサタニズムを奨励したり、無法を容認したり、不吉な前兆や悪魔的なことを礼賛したりしない曲を見つけようとする努力は絶望的であるということを証明したよ。」と語る。「もしWatainがステージに上がってパフォーマンスを行えば、検閲しようとしたもの全ての要素があるだろう。」

ブラックメタルは1990年代はじめ、サブジャンルの独特のサウンドを確立したと評価された著名なミュージシャンがノルウェーでの一連の殺人や教会放火に関係した後、悪名高くなった。このサブジャンルは反キリスト教的・厭世的テーマを意味しており、さまざまな形態のサタニズムやペイガニズムを提唱しているアーティストもいる。

型破りな曲の構造と意図的に音質を悪くした制作とともに、ブラックメタルアンダーグラウンドのルーツを超えて進歩して久しい。実際、サブジャンルの国際的なファン層は、音楽的・文化的な人気は過去20年間で急上昇するのを目撃している。

 

ブラックメタルは東南アジアで、特にムスリム過半数インドネシアやマレーシアで強いニッチなファンを獲得している。その人気は、2006年に、マレーシアの国家ファトワー会議が「ブラックメタル・カルチャー」はハラーム(宗教的に禁じられている)であり、それと関係することはシャリーア法のもとで罰することが出来ると宣言する程度まで、宗教当局を心配させてきた。

同国の宗教官僚制において最も強力な機関であるマレーシア・イスラム発展省(Jakim)は、当時は禁止に反対し、ブラックメタルの徹底的な禁止を超えた熱狂的なファンに向けた「集中的カウンセリングセッション」に賛成すると述べた。

シンガポールの国立教会協議会議長であるTerry Kee司教は、Warainのコンサートの中止を賞賛し、「悪魔的暴力の公的な承認は、感じやすく浮ついた若者に対して有害な影響を与え」、グループの存在は公的に世俗的な都市国家の宗教的調和の理念に有害であるとの懸念を挙げた。

しかし、グループの地元のファンは面白くない。

バンドとのファンミーティングで撮影された、コンサートの参加者になるはずだった人々がWatainのメンバーと共に中指を立てている写真がオンラインで回覧された。Shanmugaは、マレーシアのムスリムコミュニティの集まりで、この写真が「クリスチャンコミュニティで」急速に拡散されたと主張した。

法務大臣は後に、写真の中の「マレー人の若者の集団」を槍玉に挙げたとき、人種問題としてネット民に叩かれ、これはWatainのソーシャルメディアページに掲載されている。

Shanmuganは、都市国家のマレー人ムスリムコミュニティがキリスト教について考えていることを、この写真が代表しているわけではないことを示すことが重要だと述べた。

「当局が、不幸な人々のグループの単純な写真だったものを、反宗教的なニュアンスで人種的な声明と変え始めるとき、これは非常に危険なゲームだ。」多人種からなる黒装束の集団を撮影した、地元の写真家Gary Ngは述べた。「私が見ているのは、全ての人種を横断する人種的多様性だけだ。」彼はFacebookに投稿した。

シンガポールの音楽ファンたちは、道徳的取り締まりに反対し続けており、エクストリームミュージックシーンに対する情熱は失われていないと述べる。

「署名の作成者は、署名を始める前に主催者に相談して何が起こっているのかを知るべきだった」アンダーグラウンドミュージックのイベント主催者Shaiful RisanはAsia Timesに述べた。

彼は、署名者が音楽ファンに対して「個人攻撃」を行い、「ニッチ名文脈を理解することなく」ショーを禁止しようとしたと述べた。

境界を押し広げるブラックメタルの冒涜の領域の中でさえ、今日のシンガポールでは禁止されてはいない。

Mayhem、Behemoth、Mardukといった反キリスト教的メッセージで知られるバンドは以前、IMDAの課した規制のもとではあるが、この都市国家で演奏を行った。主催者は、禁止を求める請願にもかかわらず、Soilworkの10月の公演は予定通り行われると述べている。

シンガポールは、西洋のポピュラーカルチャーやオルタナティブカルチャーの様々な側面に対する過去の弾圧以来、かなり落ち着いた。

シンガポールは、男性の長髪に対する政府の反対キャンペーンの中、1970年代にロックの伝説Led Zeppelinの入国を拒否した。1980年代初頭にはじまったばかりの検閲により、BeatlesDavid Bowieも放送禁止だった。

しかし、批評家たちは、Watainのコンサートの中止は、芸術表現とイベント主催者の両者にとって新しい厄介な先例となったという。

「主催者は、単にショーを開催したいだけで、もし追加の対策を講じなければならないなら、そうする」。Shaifulは、中止は芸術の「曲解した理解」を示したという。「我々もまた社会の一部だ。我々にも自分の居場所や、自分の音が必要だ。もし我々が誰の邪魔もしていないなら、どうか放っておいてほしい」

 

【感想】二月大歌舞伎 昼の部

 はじめて歌舞伎を見に行きました。行ったのは2/23の昼の部です。

久々に中学・高校の友人と会ったら歌舞伎行かない?と誘われたのでほいほいついていくことにした。演目選びもチケット取りも全部友人に任せてしまって、前から3列目くらい、花道のすぐ横の、ものすごい良席を取ってもらった。ありがとう。

www.kabuki-bito.jp

 

演目は

義経千本桜 すし屋の場

・暗闇の丑松

・団子売

の3つ。前者二つはネットであらすじを読んでから行った。

 

義経千本桜

尾上菊之助さんの惟盛が花道を通ったとき、こんな色っぽい男おる!?という感じでおどろいた。武士なのになよっとして弱そうなのがちょっと気になるけど、それがイケメンの条件なんだろうな。松緑さんの権太も楽しいし、悪いやつなのに憎めない感じでかわいい。お里ちゃんのしゃべり方や仕草は、かわいいの権化といった感じ。日本的かわいいって女役さんのことなんだなと思った。市井の人間には難しい。

権太の視点だと、自分の妻子を犠牲にしてまで父親とその恩人(惟盛)の一家を助けるのだけど、自分は父親に刺されて死ぬし、そもそも犠牲を払って助ける必要なんてなかったことが最後に分かり、カタルシスがない話だ。身代わりになって連れて行かれてしまった権太の奥さんと子供は、結局殺されてしまうのだろうか?そもそも、平民が我が身と妻子を犠牲にして武士の一家を助けるのって美談なんだろうか。奥さんと子供が連れて行かれるとき権太が辛そうな顔をしているのとか(この場面ではまだ身代わりになっていることは明かされていない)、話があらかじめ分かっていないと面白くないだろうという場面が結構あったので、予習は必要なんだなと感じた。

全体的に、前半の楽しい場面は大いに楽しめたけれども、後半のシリアスなシーンはちょっと間延びしてしまった感があった。最後の権太の死の場面は悲しいのだけど、長々と死ななくて家族みんなで延々悲しんでいるのが続いて、ちょっとなあという感じ。

 

暗闇の丑松

この演目は昭和9年が初演だそうで、大道具も凝っているし、丑松の殺人という重要な出来事が画面外で起こるところが、なんとなく映像的だと感じた。あらすじはこちらのページに。

暗闇の丑松 生世話の雰囲気 2006.6.12 W152

丑松の妻のお米さんは、養母には虐待されて育つし、夫(丑松)はその養母を殺しておたずね者になっていなくなるし、頼った先では強姦されるし、騙されて女郎屋に売られるしで、散々な人生だ。その人生で唯一のいいところは丑松だったのだろうけど、ようやく会えた丑松には信じてもらえず浮気したんだろうと詰られる。つらい。死ぬしかない。

丑松は、自分の妻(お米さん)の言い分は信じず、兄貴分(四郎兵衛)を信じるとは、ホモソサエティー体現野郎である。しかも、お米さんが女郎屋で働いていることについて「悪い男と浮気して騙されて売られたんだろう」といって責めるけれども、自分も女郎屋で買春してるじゃないか。また、四郎兵衛の妻のお今さんを丑松が殺そうとすると、お今さんが色目を使ってくる場面、丑松が「女というのは、怖い男に身を任せるものなんだなあ、お米もそうだったんだなあ」みたいなことを言うのだが、当たり前だろうと・・・貞操を守るために死ねということなんだろうか。ふだん社会でうんざりしている現象がたくさん出てくるのでむかついてしまった。むしろ、昭和初期から進歩がない現代社会が悪いのだけれど。

丑松役は尾上菊五郎さんだった。丑松はどうしようもないやつだけど、渋くてかっこいいので許される(?)。丑松は27,28才だと作中で言われているのだが、俳優さんは30~40歳かなと思った。が、帰って調べてみるとなんと御年76歳でびびった。人間国宝の力はすごい。後期高齢者の褌一丁姿を喜んで見ていた女になってしまった。

 

団子売

前の演目ふたつが悲劇だったので、楽しく見られて良かった。夫婦の踊りだそうで、かわいいし、夫婦っていいなという気持ちになってしまってあぶない。

 

初めての歌舞伎だったが、思ったよりかなり楽しめた。台詞はところどころ分からないところがあったので、慣れて聞き取れるようになるともっと楽しいだろうな。3つの演目全て見るとかなりボリュームがある(4,5時間)。一幕席は数千円で見られるそうなので、今度は一幕席で気軽に見るのもいいかもしれない。でも、良い席だと良い体験ができる確度が高いんだよな・・・ 

 

Watainがナチス式敬礼で炎上

Watainの炎上案件が1年くらい前(2018年3月)にあったなと思い出した。日本語圏では一切話題になってなかったけど・・・

WatainのライブギタリストのSet Titanがナチス式敬礼をした写真が炎上したということ。彼は以前にライブでもナチス式敬礼をやって炎上していたようだ。

 

twitter.com

 

下の記事にErikの声明が載っているので訳して載せた。声明では、ファンや仕事仲間にもいろいろな「人種」がいるのはナチではない証拠、ということだけれど、これはよくある「○○の友達がいるから差別主義者ではない」理論で、おかしい。ここにアジア人のBurzumのリスナーがいるからといってVarg Vikernesがレイシストではないことにはならない。ただ、raceを括弧付けにしているあたりはある程度レイシストではないのだろう感がある。

ライブの件のときは、ナチス式敬礼だというのはmisinterpret(誤解)だと言っていたのに、写真の件ではin jest(冗談)でやったいうのも筋が悪いのでは。まあ現代の欧米でいつもブラックジョークでナチの話するなんて言えるものではないけど・・・

彼らの曲や歌詞は「ユートピア的右翼イデオロギーに対するアンチテーゼ」というのは面白い。最近の興味として、ブラックメタルが北欧でどのように受容されているのか気になる。たしかWatainはスウェーデンのチャートで1位を取ったりしていて、ファンもかなり多いのだろうか。(この前のジャパンツアーでは150人くらいしか客が入ってなかったのに・・・)。オルタナ右翼は彼らをどう思っているのか?ご存知の方教えてください。

 

Watain: Photo of Guitarist Giving the Nazi Salute Surfaces Online

www.metalsucks.net

 

WatainのライブギタリストSet Teitan(本名David Totaro)がナチス式敬礼をしているような写真がオンライン上で発見された。この写真はFacebook上で出回った後、匿名の情報源によってMetalSucksに送られてきた。

WatainのフロントマンErik Danielssonは、この写真についてMetalSucksに以下のような声明を送ってきた。

「これは言わなくてはならないことだが、あの写真のジェスチャーは冗談でやったことだ。しかしこの時間の無駄でうんざりする無意味なことを終わらせるために、またさらに望みのない議論を避けるために、問題のギタリストはしばらくの間身を引くことにした。

俺たちは、どんなものであれWatainが政治的意図を持っていると主張する、悪意ある無知なやつらに唾を吐いてやる。今まで20年間そうでないことを証明してきたし、これはもっと知られるべきだ。最後に、今や世界中のメタルカルチャーを苦しませている愚かな倫理的魔女狩りヒステリーを供給することを主張するやつら全てに、心からのFuckを送りたい。Hail Satan!」

1月、Teitanがストックホルムでのライブ中に最悪な「ジーク・ハイル」と解釈されるハンドジェスチャーをしたとき、Watainは炎上している。当時、このバンドは声明でこの非難を退けていた。

「Kraken公演でのSetの腕の動きが『ナチス式敬礼』だと誤解されていることが俺たちの注意を引くようになってきた。クソ、皆知っているように、Watainのメンバーは公的にも個人的にナチスイデオロギーと何の関係もない。この声明で、このうんざりする話題に対する不必要な推測に終止符を打ちたい。

俺たちが曲や歌詞で賞賛しているものは、過去のユートピア的右翼イデオロギーに対するアンチテーゼと見なすことができる。俺たちの聖地であるステージで、俺たちの敵を「敬礼する」ことにはあまり意味がない。これを言えるのを誇りに思うが、すべての「人種」やジェンダー、民族、文化的バックグラウンドから成っている俺たちのファンやサポーターが証言できることを確信している。

俺たちの仕事仲間も広い多様な民族的バックグラウンドを持っていることも証拠になるだろう。ほかにも挙げればまだまだある。政治的、イデオロギー的な議題によるあらゆる形の染みを消し去り、自分たちの手で創造してきた聖域の中で、悪魔の炎がはっきりと汚れなく燃えることができるように。

もちろん、これらの歓迎されない、都合が悪く見当違いの告発が許されていることは大変残念だし、この問題は置いておいて手元にある重要な仕事に集中したい。

ご理解ありがとう。」

Teitanは2007年からWatainのライブメンバーだが、アルバムには参加していない。Watainに加えてAborymやBloodlineのメンバーで、最も有名なのはDissectionの最後の参加者であることだろう。ご存知の通り、Dissectionは、1997年に、アルジェリア出身の38才のゲイ男性Ben Meddourの殺害に関与したJon Nödtveidtがリーダーであった。Nödtveidtは2004年に出所した後、2006年にDissectionの最後のアルバムReinkaos(Teitanが参加)をリリース、同年に自殺した。

 

フェリス大学(星野聡先生ゼミ)の「エリザベート」

フェリス女学院大学の星野聡先生のゼミの卒業公演「エリザベート」を見てきました。本当は先月(2/9)に行ったのだけど、勢いで感想を書いたはいいけど恥ずかしくなったので放置していた(問題あったら言って下さい)。

知人が賛助?で出演していることで知って行ったのですが、手作りの舞台といっても無料で見るのが申し訳なくなるくらいでした。

女声キャストは学生さんが交代で役を演じられていました。シシィは4人で交代でやられてましたが、あまり違和感なく、むしろ世代ごとのシシィの心情が変わっていく様子に合致していて良かった。かわいい少女シシィから辛い新婚時代、権力を得て、結局人生に絶望するまで、歌い方や演技に違いがある女優さんたちが演じるのも面白いですね。少年ルドルフも女子学生さんだったので、可愛いし歌は上手いし、これはいいな~と(成長すると男性になるのでちょっと笑っちゃったけど)。ゾフィーを学生さんがやるのは難しいと思うけど、亡くなる前のシーンは特に良かった。マダム・ヴォルフのシーンは何となく皆さんイキイキしてたような?

男声キャストは二期会藤原歌劇団声楽家さんたちで、もうめっちゃ上手い(語彙力がない・・・)。皆さん声楽家さんなので普通のミュージカルのようなダンスはなくオペラのような感じなのだけど、圧倒的に歌が上手いのでものすごい。世の中のトート様は若いイケメンさんという感じの役作りが多いけれども、川出康平さんのトート様は渋くてセクシィな感じなのが新鮮でした。訳詩だとどうしても意味が抜け落ちてフワッとしてしまうのだけど、ドイツ語歌詞+日本語字幕だと、トート様の歌詞が結構過激なことを言ってるのがよく分かった。(字幕の作成も学生さん?)青年ルドルフ役の笹岡慎一郎さんは特に演技派ですばらしかった。

アンサンブルは人数が少ないのと、キャストだけがマイクを付けてるので仕方がないのだけど、Milchのとこではもうちょっとパワーがほしかった。ただ、舞台の外まで使った演出が面白くて、ミルクを貰いに来た民衆がルキーニに「今日はミルクないよー」と言われて壇上に上がれなかったりとか、Hassのデモ隊が通路を歩いたりとか、舞台が雛壇くらいの高さしかないのを逆手に取っていたので良かった。

お客様は学生さんのご家族やご友人が多かったのだけど、Kitschで手拍子が始まったり、最後のシーンのあとすぐ拍手が入ったり(幕がないので、終わりかどうかためらうところだと思うのだけど)、エリザベートを見たことのある人が結構いるなと感じた・・・

生オケで、300席くらいのホールで間近で聴けるしで最高でした。声楽の方々が原語で上演するミュージカル団体ってないのかな(それはオペラなのでは?)