今年の観劇納めはアナ雪でした。
冬休みなので観客席に子供たちが多くて新鮮だった。1年以上前にチケットを取ったので、前方センターのいい席で見られた。
アナ雪は、数年前に原作の映画は見たけれど、一度見ただけなのでうろ覚え状態だった。続編『アナと雪の女王2』は未見。
基本情報
2022年12月28日(水)マチネ@四季劇場[春]
キャスト
エルサ:谷原 志音
アナ:三代川 柚姫
クリストフ:神永 東吾
ハンス:杉浦 洸
オラフ:大橋 美絵
ウェーゼルトン:伊藤 綾祐
オーケン:竹内 一樹
パビー:大森 瑞樹
バルダ:柏谷 巴絵
ヤングエルサ:加賀見 陽
ヤングアナ:本保 佳音
アグナル王:阿久津 陽一郎
イドゥーナ妃:松岡 ゆめ
スヴェン:赤井 涼之助
感想
エルサの「魔法」は何か?
映画版は結構楽しく見た記憶があるのだが、今回は正直モヤっとしてしまった。
アナ雪については、映画が話題になったので、フェミニズムの観点からもいろいろな批評が出ていて、楽しく読んでいた。
例えば、エルサは「(シェリル・)サンドバーグ的な、グローバルエリートとしてのポスト・フェミニスト」(『戦う姫、働く少女』川野真太郎)、つまり、新自由主義的な資本主義社会で成功した働く女性の象徴であるという説。
または、このストーリーは「同性愛や無性愛(アセクシュアリティ)、ジェンダーアイデンティティの物語」(『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』北村紗衣)であるという説。
しかし、ミュージカル版を見て、どちらも違うのではないか・・・と思った。
このストーリーでは一貫して、エルサの「魔法」はコントロールされるべきものとして扱われている。"Let it go"では「魔法」を解放することがいったん肯定される。しかし、アナに「魔法」のせいで国中が冬になってしまったことを指摘され、起こした事態を自ら解決して責任を取らなければならないと決意。アナの無償の愛を知って、自分の「魔法」を受け入れてコントロールする方法を学ぶ。
結局、「魔法」は無制限にLet it goしてはダメで、(少しはあってもいいけど)ちゃんと自己管理しないといけないという結末だ。この「魔法」とは何だろう?
エルサが仕事で成功した女性を表象しているとすれば、「魔法」は仕事の能力ということになるが、それだとこの結末は変だ。「魔法」が仕事の能力ならば、能力をぞんぶんに発揮して「魔法」を国家の運営に役立てればいいのであって、自己管理しないといけないということはない(映画版にはラストに「魔法」を使ってスケートリンクなど役に立つものを作るシーンがあったが、ミュージカル版だとカットされている)。
また、エルサが仕事の能力を発揮するという結末には、女性が仕事の能力を発揮することを嫌がる、ウェーゼルトン侯爵のようなミソジニックな男性たちには反省してもらう必要もあるが、そういう描写もない。このウェーゼルトン侯爵のミソジニー仕草はものすごくリアリティがある。権力を持った女性でも外見を品評されるなどのセクハラを受けたり、男性に頼らずに「女ふたりだけでひっそり暮らす」だけで何となく嫌がられたり。そんなウェーゼルトン侯爵は、特に改心した様子もなく、ラストシーンではなぜか国民の代表のような顔をしてハッピーエンドの場面に居座っている。
また、エルサが同性愛者を表象しているとすれば「魔法」は同性への愛情ということになるが、その場合も「魔法」をコントロールしないといけないという結末は不適切なように思う。(異性との恋愛に興味を示さないエルサが、ディズニーのヒロインとして革新的であることは疑いようがないが)
「魔法」が能力でも個性でもなく、自己管理しないといけないものだとすれば、「魔法」は感情ではないかと思う。エルサは、精神疾患や障害によって感情をうまくコントロールできず、周囲を傷つけてしまうような困難を抱えた人に見える。まあ悪い言い方をすれば「メンヘラ」だ。
そうだとすれば、「アナの愛でそういう困難を克服できる、家族は素晴らしい!」という結末はとても不安な感じがする。もちろん、精神的な困難からの回復の第一歩として身近な人との信頼関係は大切だけれど、障害や疾患を抱えた人を家族だけでケアするのは危険で、共依存に陥ってしまいやすい。しかも、アナ自身も、家族の愛情に飢えていて、すぐに変な男と付き合ってしまうような、ちょっと危うい女の子だ。このままだと、アナがエルサを一人で自己犠牲的にケアする閉鎖的な関係に陥ってしまいそう。
周囲に頼れる大人もいないのも不安だ。この話には、国民はほとんど登場せず、特異な経歴を持つクリストフと、山小屋で裸で踊り狂うのが趣味(褒めてます)のオーケンだけ。アンサンブルの国民たちも、異国の王族であるハンスの統治をすぐに受け入れてしまうなど、頼りにならない。
両親の死からエルサの戴冠までの期間、摂政のような人が国家を統治していたはずだと思うが、その人も登場しないし。両親が秘密主義だったせいで、エルサもアナも、信頼できる家臣を作れなかったようだ。
こういう状況で、エルサとアナ(+クリストフ+オラフ)の家族で、助け合って生きて行こう!という結末だと受け入れがたいものがあった。一般論としては、完璧じゃない女二人が助け合って生きていくシスターフッドの物語ってすごく好きなんだけど、エルサとアナの場合は、二人ともちょっとまだ子供だし、国政もやらないといけないし、かなり心配になる。家族だけで完結しないで、周囲の人たちを頼れるようになってほしい。クリストフが映画版よりも頼れる大人になっていたのが唯一の希望だ。クリストフはエルサとも気が合いそうだし(氷大好きだから)、がんばってほしい。
どうしてこういう印象を持ってしまったのかというと、映画版よりもミュージカル版の方がエルサやアナの心情や苦悩が詳細に描写されていて、リアリティがあって素晴らしいのだが、相対的にパワフルな印象が薄れてしまったからだと思う。特に新曲"Monster"はとてもカッコいい曲なのだが、自分が怪物でなくなるためには「魔法」を取り除かなければならない(=「魔法」をコントロールできなければ自分は怪物だ)という歌詞で、結構自己否定的な内容だと思う。ハンスもウェーゼルトンも氷の柱でぶっとばしちゃえばいいのに。エルサが自分の「魔法」と向かい合って、自由自在に操れるようになった後のポジティブな描写も欲しかったなと思った。
演出について
舞台美術は、評判通りすごく豪華だった。
全体的に映画版よりもリアル志向で、衣装や大道具が北欧っぽくなっている。また、「魔法」の表現がものすごく凝っていて、子供騙しではない迫力あるものになっている。特にエルサの氷の城のシーンで垂れ下がっているキラキラが凄くて、上げ下げするときに壊れそうでめちゃくちゃ気を使いそう。しかし、あまりにも凝りすぎているせいで、エルサ役の谷原さんの歌声に集中できなかったのが心残り。谷原さんは、「アンマスクド」で"Don't cry me for Argentina"を歌っているのを拝見したが、今回もパワフルな歌声が素晴らしかった。
あとMonsterでのパンツスタイルがすごくカッコよかった。Let it goのキラキラのドレスよりもシックで素敵だと思ったけど、やっぱりLet it goでドレスになるのは映画の印象が強くて変えられなかったんだろうか。
映画ではトロールだった「隠れ人」たちの衣装もいい。闇の中で光るネックレス、グッズにしたら買っちゃいそう。衣装が全体的に「力の指輪」のホビットに似ていて、ああいう感じのファンタジックな先住民のイメージは最近の流行なんだろうか。サーミ人の民族衣装とも違うし、何か元ネタがあるのか?
新曲"Hygge"の裸ラインダンスも攻めていて楽しい。ラインダンスのパロディって、いかにもブロードウェイという感じで、歴史を受け継いで新しいものを作っていくという気概が感じられて好きだ。裸の人たちが枝で陰部を隠しながら踊るのは、ちょっと宴会芸みたいだが・・・
他にも、オラフのパペットとか、早着替えとか、演出の必殺技みたいなすごい技術が次から次へと繰り出されてきて、すごく豪華だった。
アナ役の三代川さんの演技も好感が持てた。アナは「ドジで自分に自信がないけど元気」という少女漫画の主人公のような、万人に好かれるキャラづくり。アナ役の三代川さん、ヤングアナ役の本保さんともに、これがすごく上手くて可愛い。ただ、話し方も含めてちょっと劇団四季の型にハマりすぎのような気もした。
参考文献
貼っておきます。
この本は、パワフルな女性キャラクターはみんな「ポスト・フェミニスト」ということにされてしまっているので、ちょっと雑なように思う。
ご存じ、さえぼう先生の本。
アナ雪の項は、さえぼう先生のブログでも読めます。
See also:
ディズニーつながりで。
メンタルヘルスのケアを家族で担うのは大変だよつながりで。