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観劇日記

【あらすじ・感想】ミュージカル『ファンレター(팬레터)』2020年ソウル公演

YouTubeの動画を見て好きになってしまい、絶対見たくてソウルまで見に行ったミュージカル『ファンレター(팬레터)』の感想です。

 

 『ファンレター』は韓国オリジナルミュージカル。大学路の小劇場作品として2016年に初演されて大人気になり、昨年は台湾公演を行うまでになったそう。ぜひ日本公演もやってほしい。待ってます!!

作品の舞台が日本統治時代の京城であることから、日本語と中国語で字幕がついています。

 

今年の公演の動画がYouTubeあったので貼っておきます。

www.youtube.com

 

 

公演概要 

2020年1月10日(金)ソワレ @トゥサンアートセンター ヨンガンホー

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500人くらい?収容の、観劇側としてはちょうど良い大きさのホール。座席の傾斜がきつくて舞台がとても見やすい。ただし、字幕が映るモニターが舞台の両脇にあり、文字が若干小さめなので、センターブロックからだと少し見づらかった。

 

キャスト

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キム・ヘジン:キム・ジェボム

チョン・セフン:ベク・ヒョンフン

ヒカル:ソ・ジョンファ

イ・ユン:ジョンミン

イ・テジュン:ヤン・スンリ

キム・スナム:イ・スンヒョン

キム・ファンテ:アン・チョンヤン

 

キャストは皆さん若手俳優さんで、お客さんは若い女の子ばっかりでした。リピート観劇することでポイントカードのようなものにスタンプを押してもらい、ポイントがたまると何か特典が貰えるというサービスもあったみたい。オタクを何度もリピートさせる戦法は日本の2.5次元みたいですね。

 

あらすじ

(ネタバレしかないです!そしてうろ覚えの箇所もあり・・・間違ってたらご指摘ください)

第1幕

1930年代。主人公チョン・セフンは、女流作家「ヒカル」の小説が出版されるというニュースを耳にし、東京の留置所に「不逞鮮人」として収容されている文人イ・ユンを訪ねる。イ・ユンはヒカルの恋人であった作家キム・ヘジンが彼女に送った最後の手紙を持っているという。セフンはその手紙を渡せと迫るが、イ・ユンは秘密を明かさないと読ませないという。セフンは「ヒカル」の秘密を語りだす・・・

学生時代のセフン。内地に留学していたセフンだが、朝鮮語を使って学校でトラブルとなり、京城の実家に帰ってきてしまう。セフンに対し、すぐに学校に帰れと叱責する父。実家には母の残したものはもうなくなってしまった、もうここにいる意味はないと悲しむセフン。その時、はじめて「ヒカル」が現れたのだった。少年の姿をしたヒカルは、「ヒカルという筆名を使っていたから、朝鮮語で文章を書いていたことはバレなかったね」とセフンを慰める。

セフンは作家キム・ヘジンの詩を読み、「ヒカル」の名でファンレターを書く。自然の風景を詠った美しい詩に「貴方は美しさの中に悲しみを隠しているのですか」と尋ねた。それを読んだヘジンは、「ヒカル」こそ自分の心の全てを理解してくれる人だと直感する。

家出したセフンは、新聞社で学芸部長を勤めるイ・テジュンの紹介で、文人集団「七人会」の事務所で小間使いをすることになる。文人たちに「一番好きな作家は?」と訪ねられ、答えようとした瞬間、ヘジンが事務所に入ってくる。

新しく七人会の一員となったヘジンに「小説を書いたら見てあげよう」などと可愛がられ、有頂天になるセフン。セフンと女の子の姿となったヒカルは、事務所で文章を書くヘジンの姿を見てうっとりとする。

ある日、セフンはヘジンに手紙を郵便局に持っていくように頼まれる。「誰への手紙ですか?」と訊くと、「ヒカルさんという人で、結婚するかもしれない」との返事。驚くセフン。「でも、会ったこともない人でしょう?」「彼女がどこの誰だとしても関係ないんだ」ヘジンが「ヒカル」を女性と思い込んでおり、さらに自分の真の理解者だと感じていることが明らかになる。

「ヒカル」が僕だなんて言えないと悩み、本当に「ヒカル」がいるかのように装うしかないと決心するセフン。年齢は、住んでいるところは、と設定を考えているうちに、ヒカルはセフンに代わってヘジンへの手紙を書き出した。セフンには書けないような大胆な表現を使って手紙を書くヒカル。「アベラールとエロイーズのように、『愛の全ての形を味わい』ましょう!」

ヒカルに会いたいというヘジンに、ヒカルもヘジンと同様に結核に罹っていて入院しているため会えないと説明する。代わりに自作の小説を送ったが、ヘジンはその小説を七人会の同人誌に掲載してしまう。ヒカルが謎の若い女性作家として有名になってしまい困るセフン。ヒカルは怒ってヘジンに別れの手紙を出す。

ヒカルからの返事が来ない、返事が来ないと文章を書けないと落ち込むヘジン。ミューズというのは気まぐれなもんだぜ、と盛り上がる文人一同。

第2幕

ある日、七人会の事務所では文人たちが本を焼く準備をしていた。誰かが新聞に七人会は民族主義者であるという投書をしたために、事務所に捜査が入るというのだ。投書には、内部の人間しか知り得ないようなことまで書いてあったという。ヒカルさんではないか、という声が漏れ始める。ヘジンは怒って七人会を脱退すると宣言して立ち去ってしまう。

イ・ユンはセフンに文字を書いてみろと迫る。ヒカルからの手紙の文字と比較するためである。イ・ユンはセフンがヒカルの正体であると気づき、その才能を埋もれさせたくないと思ったのだった。

ヒカルは2人で一緒に小説を書きましょうと言ってヘジンを呼び出した。セフンを見て驚くヘジンに、セフンは、自分もヒカルから手紙をもらい、ヘジンの看病を頼まれたのだと嘘をつく。

ヘジンの病状は悪化し、血を吐くようになってしまう。薬を買ってくるというセフンに対し、ヘジンは薬を飲むと頭がぼんやりして文章が書けなくなるから嫌だという。また、薬を飲んでもどうせ長くない命だとも。セフンはこんなことをしていたらヘジンが死んでしまうと訴えるが、ヒカルは命をかけた芸術が見たくないの?これが私たちが望んだものだよ、と取り合ってくれない。

セフンは自分の手を刺して傷つけることで、ヒカルを消滅させることを選んだ。ヒカルは、可哀想な子、私がいなければ愛されないのに、と言い残して消えていく。

ヘジンにヒカルは自分であると告白したセフン。しかしヘジンは知りたくなかった、知らないまま死にたかったと拒否する。それ以降、セフンはヘジンに会うことはなくまもなくヘジンは亡くなった。

再び、冒頭の留置所の場面。あれ以来文章は書けなくなったというセフンに、また書けよというイ・ユン。イ・ユンは、事務所に行ってみろ、ヘジンからの最後の手紙がある、と告げる。セフンが部屋に向かうと、はたしてそこにはヘジンからセフンに宛てた手紙があった。ヘジンからの愛と赦しの手紙を読んで涙するセフン。

ヘジン、さらに同じく結核であったイ・ユンの死後、イ・テジュンは七人会の新たなメンバーとしてセフンを紹介する。セフンのスピーチの間、手を繋いだヘジンとヒカルが現れる。ヘジンはヒカルの手を離し、笑顔で見送る。ヒカルとセフンは抱き合い、幕。

 

感想(物語について)

セフンにとって単なる筆名(=自分自身)だったヒカルが、ヘジン先生の期待に答えることを切っ掛けに女の子になり、個別の人格を持って恋の駆け引きを始め、セフン自身とは異なった大胆な文章を書き、ついには最高の文学のためにヘジン先生を死に仕向けるように変貌していく。「もう一人の自分」であるヒカルを表現できる演劇という表現様式はやっぱりいいなと感じられた。ヒカルはセフンの心の一部であり、才能があり愛される理想化された自己像であると同時に、もしかして本当に芸術の女神、文学そのものなんじゃないかと思わせる部分もありの複雑な魅力的なキャラクターだった。こんなキャラを作れるのは凄い。登場人物みんなにとって文学が人生の光であるからヒカルという名前なのだよね。この話の登場人物全員が文学きちがいではある。

ヒカルの芸術至上主義に対して(これはもともとセフンが持っていたものではあるけれど)、セフンはヘジン先生に対する愛情で否を突きつけたのだよね。セフンの告白によって、ヘジン先生はヒカルとの愛の中で死んでいくという物語を破壊されてしまって、ヘジン先生本人が言ったようにそのまま幻想の中で死ぬほうが幸せだったのかもしれない。でも、リアルな人間関係の中で感情をぶつけられて、人間として死ぬことができて良かったのだと思う。セフンが文学的才能と愛されることをセットにしてヒカルとして自分と切り離してしまったのは、条件付きの愛しか得られなかった生育環境ゆえなのかな。最後のヘジン先生からの手紙によってセフン自身として愛されることで、無条件の愛を得て救われて、さらに最後の場面でヘジン先生はヒカルをセフンに還してくれて、セフンは文章を書くことも取り戻すことができそうで、人間が人間を救うということは素晴らしいなと感じた。

なんとなく、学校の授業で芥川の「地獄変」を読んだのを思い出した。芸術と人間性という古典的な、自己言及的なテーマを扱っているからこそ、作品全体に純文学的な雰囲気が漂っていて、舞台設定が戦前であることとマッチしているのかなと感じた。

セフンとヘジン先生の物語の裏に、日本統治時代の朝鮮文学のありかたを模索している文人たちが垣間見えるのもよかった。七人会の文人たちは、朝鮮人が人間であるための文学を追求していて、大衆にとっても文学は光であると信じている。事務所を摘発されて本を焼かなければいけなくなっても、生きていればまた文章を書けるさ、と慰めあうシーンなんていじらしいけど申し訳ない。

舞台背景を削ぎ落とせば、セフンは「ストレートの男性を好きになったゲイの男の子」だけれども、同性愛であるというハッキリした言及はなく現代的なセクシャリティの描き方だった。「ヒカルがどこの誰でも関係ないんだ」と言っていたのに、セフンを拒否するヘジン先生にはちょっとがっかりしたけど、最終的には乗り越えてくれたヘジン先生はすごい。

 

感想(舞台・演出について)

音楽

ピアノを基調としたシンプルな音楽。ジャズ調の部分もあり。録音なのは残念だったけど、小劇場だから仕方ないのかもしれない。

衣装

物語が進むにつれ、ヒカルの衣装がどんどん女らしくなる。どのバージョンの衣装もとっても素敵で、お嬢さんバージョンヒカルも最終形態ヒカルも、レトロな雰囲気でありつつスタイリッシュで、あの服どこで買ったの?売ってほしい!ってなった。戦前の朝鮮の文人が全員普段からスーツを着ていたのは若干気になった。(実際はそんなことないよね?)

 大道具

障子を透かして見える影、鏡の向こうのヒカルと入れ替わるセフン、光溢れる扉の向こうに消えていくヘジン先生・・・大道具の使い方が素敵すぎる。お気に入りは、床に投影された原稿用紙の上をぴょんぴょんするところ。かわいい。

ダンス

メインキャラはあんまり踊らなくて、しっかり踊るのは大衆だけ。ダンスに詳しくないのでコメントしづらいけど、ヘジンとヒカルは象徴的な動き?をする。しかし、大衆の描き方はあまりうまくなくて陳腐な感じがした。ヒカルが女流作家として有名になった場面の大衆の動き方とか。あと、大衆がカフェで退屈しながら新聞を読んでいるところは、『エリザベート』で見たやつだと思った(好きだけど)。

字幕

冒頭にも書いたように、日本語と中国語字幕あり。プログラムノートによれば、日本語字幕は日本人の方がつけていらっしゃるようだ。とても美しい情緒深い言葉選びで素敵だった。フアンレタア!

 

いつか日本公演をやってくれないかな。台湾公演ができたんだから、可能性はあると思う。期待している。せめてDVDは無理だろうか?韓国はミュージカルのDVDあまり作らないよね・・・

とにかく登場人物みんな愛おしくて、また見たいミュージカルでした。