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観劇日記

【感想】『ジーザス・クライスト・スーパースター』2012年アリーナツアー版

アンドリュー・ロイド・ウェーバーが、毎週末作品を無料公開してくれているプロジェクト、今週はJCSの2012年アリーナツアー版だった。 

 

全編の動画はもう削除されちゃったので"Superstar"の動画を貼っておきます。

youtu.be

 

JCSは一番好きなミュージカルで、四季ではエルサレム版もジャポネスク版も見たし、映画は1973年版も2000年版も見たし、NBCのコンサート版も見た。映像が比較的容易に手に入るバージョンで見ていなかったのは、この2012年アリーナツアー版が唯一と言ってもいいんじゃないか。

 

本作はイエス・キリストを1人の人間として描いた1971年初演のミュージカルだが、このアリーナ・ツアー版の演出では、イエスは現代の左翼の活動家のリーダーとして描かれていてびっくりした。オープニングでは、スクリーンに資本主義の矛盾についてのニュース映像や、反資本主義や反戦を掲げたデモの映像が流れる。それと呼応して、盾を持った警官と対峙する、ブラックブロックのように黒いパーカーを着たイエスの弟子たちが現れる。イエスと仲間たちは、廃ビルのようなところに住んでいるようなので、スクウォット運動を示唆しているのだろうか?

 

エスの右腕のユダが、聖書のエピソード通りに、イエスの恋人のマグダラのマリアセックスワーカーなのを蔑んだり、高価な香油を使うのを非難したりするところから話が始まる。この「その香油を売って貧しい人たちに分け与えればよかったのに」という部分は、活動家がちょっと贅沢すると「反革命だ」とか言い出す人に通じる部分がある。それに対してイエスは「われわれの資金で貧しい人全てを救えると思っているのか?」と言って諌めるので正しい。イエスが(こいつ、面倒くせえな)という顔でユダを見ている通り、ユダは面倒くさい活動家なんだなと思った。ただし、ティム・ミンチンのユダは、2000年版ユダのようにイエスに執着していてマリアに嫉妬ゴリゴリという感じではなく、運動が自分の思う方向から外れていくのが気に入らないという面が強い感じだ。

他の演出だとイエスが戦略性に欠けているせいで運動が権力から弾圧されてしまうという感じだったのが、このバージョンではそうでもなかった。他のバージョンよりも感情を表に出していなくて、運動の状況にはあまり興味がないように見えた。どうせ処刑されるんだから、みたいな。また、他の弟子たちにあまり心を許していなくて孤独な感じがした。

エスが十字架にかかって死ぬことが神によって定められた計画であるということは、イエス自身はこの話の冒頭から分かっているようだ。ただし、それが何故か、それによって人類が救われるということは分かっていないため、非常に苦しむ。

ユダの裏切りのシーンで、イエスからユダに抱きつく演出が新しくて、うお~~ってなった。イエスは他の弟子たちが寝ちゃって孤独だったんだよな・・・イエスにとって、自分の死という運命に一緒に向かい合ってくれるのはユダだけなんだよな!この場面ではまだユダは分かってないけど・・・

ユダも自殺の直前になって、自分がイエスを裏切ってイエスが死ぬということが、神が決めたことだと気づき、神を罵りながら死んでいく。ユダの自殺は聖書に忠実に、自分で木にロープをかけて首吊り自殺していた。ユダは自殺したというのは重要だと思っているので、変な渦に飲み込まれて消えるだけの四季バージョンは認められない。

それに対して、マグダラのマリアは、「何故ペテロが3回否認するのを予言できたのかしら」と言っているように、イエスが神の子であるということは信じておらず、彼女にとってイエスはあくまで一人の男である。ここがユダがイエスの唯一のパートナーであるということだなんだよな!!

カーテンコールは「復活の日」という説があるらしい。イエスとユダが2人同時に出てきて、ユダも主人公だということが明らかにされていて嬉しかった。

 

エスの弟子たちや民衆は全体的にかなりどうしようもなく書かれている。

熱心党のシモンというやたらに好戦的な弟子は、運動をユダヤ対ローマというナショナリズムに回収させようとする。冒頭のシーンで警察に火炎瓶を投げて嬉しそうにしているのがこの子。ゲバラTシャツを着ているのが示唆的である。他の弟子たちも、「引退したら回想録を書きたいな」とか「有名になりたいな」みたいな感じなので、こういう活動家いるよな~となる。

神殿で商売をしている人たちを追いだすシーンは、歌詞は普通の商売なのに、演出はクラブみたいで笑った。さすがに神殿がクラブになってたら怒るかもしれない。この場面の曲が、イエスの弟子たちの曲(What’s the buzz)と同じだと初めて気づいた。弟子たちも神殿を冒涜する人たちも大して変わらないということでしょうね。

民衆は、助けてくれと言うばかりで自分は行動しないし、イエスが逮捕されると手のひらを返して叩き始めるのでどうしようもない。イエスが多数の民衆に「救ってくれ」と迫られて、「自分で癒せ!」と言って突き放すのは、昔はピンと来なかったけれども、今は「あるある」だなあと思う。

 

カイアファ&アンナスはユダヤの陰謀組織みたいな衣装だった(いや、本当にユダヤの陰謀組織なんですが)。アンナスが現代的な小物感(?)でよかった。

ピラトは始めの登場ではキッチリした服を着て裁判官の格好をしているが、イエスが連れて来られたときにはランニングをしているのが現代の上流階級っぽかった。「これはヘロデの管轄でしょ?」って追い出すところの無責任さにリアリティがある。ただし、再度連れてこられたときには、ちゃんと民衆を説得するので、さすがインテリである。結局は民衆を抑えられなくなって処刑するのでインテリの限界ですが。

ヘロデ王は演出によって色々な奇抜な格好をさせられているのだが、今回はコメディアンで、ものすごく嵌っていた。イエスに対して「あなた有名だから皆知ってますよ、お会いできて光栄です」とかいうところは、テレビの中の芸能人同士ってこういうこと言うよな~と思ったし、水をワインに変えてみろというところもテレビのインタビュー番組みたいになっていた。ヘロデ王のシーンってこういう演出のためにあったのかとすら思った。今までの演出が単なる面白おじさんみたいにしてきたのは何だったんだ?(ジャポネスク版は反省して)ちなみに、今回のヘロデ役のクリス・モイレスは実際にラジオのDJやテレビの司会が本業の人らしい。

 

全体的に、人間や社会の普遍的などうしようもなさが描かれていて、しかもそれをかなり突き放しているのは、アンドリュー・ロイド=ウェーバーの次の作品「エビータ」にも通じるところがある。今回感じたのは、ALWはかなり人間が嫌いだということだ。おそらく、猫や鉄道の方が好きだと思う。

 

訳詞をGitHubで公開している方がいらっしゃったのでリンクを貼っておく。なんと、2012年版のDVDの字幕は四季版の日本語歌詞らしい。ダメすぎる・・・

wolfrosch.com

 

アンドリュー・ロイド・ウェーバーの配信の、他の作品の感想は下のリンクから見られます。

iceisland.hatenablog.com