RED & BLACK

観劇日記

「民衆の歌」の革命歌・運動歌としての受容

コロナ禍の中、ミュージシャンが演奏動画を配信するのが流行っている。先日、ミュージカル俳優の方々が「民衆の歌」の動画を配信したりして、世間が盛り上がっていた。

左翼ミュージカルおたくとしては何となくモヤるところがあるので、お気持ち表明をしていきたいと思います。

 

まとめ

・「民衆の歌」はミュージカルに出てくる曲

・物語の舞台はフランス革命ではない

・原語(英語)の歌詞は革命歌してる

・台湾や香港での運動では、原語とは異なる独自の歌詞がつけられている

 

 

「民衆の歌」とは 

まず「民衆の歌」って何なのかと言うと、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の劇中曲である。「民衆の歌」が歌われるのは、学生や若者たちが蜂起する場面で、劇中で最も盛り上がるシーンの一つである。

 

レ・ミゼラブル』のストーリー

まず『レ・ミゼラブル』のあらすじを紹介しておく。日本では『ああ無情』としても知られているユーゴーの同名小説が原作である。

主人公のジャン・バルジャンは元泥棒だが、改心して市長にまでなる、というストーリーは知っている人が多いと思う。ジャン・バルジャンはコゼットという少女を引き取って育てているのだが、成長したコゼットは、マリウスという若者と恋に落ちる。マリウスは、「ABCの友」という共和主義者の秘密結社に加入して活動している活動家だ。「ABCの友」には、マリウスのほかに、リーダーである美青年活動家アンジョルラスを始め、魅力的な学生たちや若い活動家たちが加入している。

物語のクライマックス、ついに「ABCの友」は王政の打倒を求めて暴動を起こす。ミュージカル版において、この暴動の場面で歌われるのが「民衆の歌」である。しかし、暴動は鎮圧され、マリウス以外のメンバー全員が殺されてしまう。

  

モデルとなった時代

ミュージカルの原作となった小説『レ・ミゼラブル』は、ユーゴーによって1862年に発表された。

物語のクライマックスである「民衆の歌」のシーンは、6月暴動という1832年の実在の事件をモデルとしている。フランス革命だと思っている人もいるのではないかと思うが、実はフランス革命ではないので注意。

 

筆者は理系だったせいで高校のときの世界史の授業はナポレオンまでしかやっていなかった。そのため、ナポレオン以後の世界史は全くの未知であり、何となくナポレオン失脚後はすんなり共和制に移行したと思っていた。ところがどっこい、フランス革命後は共和制・帝政・王政を行ったりきたりする混迷の時代に突入する(ちなみに現代のフランスは第四共和制である)。

フランス革命の後、第一共和制、ナポレオンによる第一帝政が続いたのはご存知の通り。ナポレオン失脚後、1815年の王政復古によりルイ18世プロヴァンス伯)、続いてシャルル10世(アルトワ伯)が即位した。しかし、1830年の7月革命により再び王政は打倒され、シャルル10世は退位した。有名な「民衆を導く自由の女神」の絵は、この7月革命を描いたものである。

しかし、ブルジョワ階級に人気のあるルイ・フィリップが国王となり、共和主義者は落胆させられることになった。食糧難やコレラの流行を背景として、1832年、共和主義運動を支援したラマルク将軍が亡くなったのを契機に、共和主義者が蜂起したのが、この6月暴動である。残念ながらこの暴動は鎮圧されてしまい、フランスに共和制が復活するのは1848年の2月革命を待つことになる。

 

レ・ミゼラブル』の物語は、ナポレオン没後の1815年から1833年の間、フランスが王政と共和制の間を揺れ動いた時代を舞台としている。

 

ミュージカル『レ・ミゼラブル』ができるまで

さて、現在日本でよく知られているバージョンのミュージカル『レ・ミゼラブル』は、ロンドンのウェストエンドで初演されたものである。

ウェストエンド版より以前、1980年にパリで初演されたミュージカル『レ・ミゼラブル』があった。これに、有力なミュージカル・プロデューサーであるキャメロン・マッキントッシュが目をつけ、ウェストエンド公演を企画した。パリ版は、ストーリーをよく知っている人向けに作られていたらしいが、ウェストエンド公演にあたり初心者にも分かりやすく改訂されている。

この、ウェストエンドバージョンは非常に有名になり、世界中で公演されているし、2012年には映画化も行われた。この中で、6月暴動のシーン、バリケードを築いた青年たちが政府軍を待ち受ける場面で歌われるのが「民衆の歌」である。(動画は映画版)

youtu.be

 

各国版歌詞の比較

さて、「民衆の歌」を歌うことがどのような意味を持つかを考える前に、各国版の歌詞を比較してみたい。

 

英語版

まず、一番有名なバージョンである英語版を見てみる。適当ですが訳もつけてみた。

Do you hear the people sing?

Singing the songs of angry men?

It is the music of the people

Who will not be slaves again!

When the beating of your heart

Echoes the beating of the drums

There is a life about to start

When tomorrow comes!

民衆の歌が聞こえるか?怒れる者たちの歌が?
それは二度と奴隷にはならぬ者たちの歌
心臓の鼓動が太鼓の音と響きあい
明日には新たな人生が始まる


Will you join in our crusade?

Who will be strong and stand with me?

Somewhere beyond the barricade

Is there a world you long to see?

Then join in the fight

That will give you the right to be free!

われわれの聖戦に加わろう
共に立ち上がる強者を求む
バリケードの向こうに待ち望んだ世界がある
闘いに加わり自由への権利を勝ち取ろう

 

Will you give all you can give

So that our banner may advance

Some will fall and some will live

Will you stand up and take your chance?

The blood of the martyrs

Will water the meadows of France!

旗を前進させるために全てを差し出そう
何人かは死に、何人かは生きるだろう
立ち上がりチャンスを掴もう
殉死者の血がフランスの野を染めるだろう

 

英語版の歌詞をみると、歌詞の内容はかなり革命歌らしい革命歌である。2番で血なまぐさくなるのも革命歌っぽい。「血が野原を染める」と言う部分は「ラ・マルセイエーズ」を思い出すが、本家の血は敵の血なのに対して、こちらは自分たちの血なのでちょっと悲壮感がある。また、「砦の向こうに世界がある」の部分は、「砦のう~えにわ~れらが世界」の「ワルシャワ労働歌」を想起させる。

いろいろな革命歌を参考に、革命歌らしく作られているのは間違いなさそうだ。

 

日本語訳詩

日本語版のミュージカルで歌われている歌詞は、以下のようなものだ。


戦う者の歌が聞こえるか?
鼓動があのドラムと 響き合えば
新たに熱い 命が始まる
明日が来たとき そうさ明日が!

列に入れよ 我らの味方に
砦の向こうに 世界がある
戦え それが自由への道

悔いはしないな たとえ倒れても
流す血潮が 潤す祖国を
屍越えて拓け 明日のフランス!

英語版の訳詩なので、基本的な内容は英語版と同じである。ただし、英語歌詞を日本語に訳すときの性質上、かなり内容はそぎ落とされており、その過程で血なまぐささも軽減されている。

 

フランス語版

フランス語は分からないのでリンク先のサイトを見てほしい。英語版・それを訳した日本語版とはかなり内容が異なっているようだ。

仏語版 "Do you hear the people sing?" | 梟の見下ろしたるパリー

『民衆の歌』英語版とフランス語版の違い : foggyな読書

 

社会運動の場での受容

各国の社会運動での受容

この曲が革命歌として、つまり社会運動の現場で使われた例で最も有名なのは、香港の運動であろう。昨年(2019年)の民主化デモで歌われていた動画は非常に有名になったが、2014年香港での雨傘革命で既に歌われていたそうだ。昨年(2019年)の香港での民主化デモでも歌われていた。

www.afpbb.com

youtu.be

 

今回気になって調べたところ、香港での運動より前に、2013~2014年の台湾でのひまわり学生運動でも歌われているのを確認できた。

youtu.be

 

日本でも、2015年夏の国会前での安保法制反対集会で歌われていた記憶がある。下の動画は自由の森学園という高校の生徒さんたちらしい。動画は見つけられなかったのだが、みんなで「民衆の歌」を歌おうという企画もあったような気がするが、証拠を見つけられなかった。おそらくSEALDs周辺の人の呼びかけだったと思うが・・・

これ以後、日本では国会前抗議で「民衆の歌」を歌う企画は度々行われているようだ。

youtu.be

 

これは合唱ではないが、2016年のソウルでのろうそく革命でも歌われていたようだ。歌めっちゃうまいね。

youtu.be

ほかにもトルコで歌っている動画などもあったが、主に東アジアの若者の運動の中で受容されていると思ってよさそうだ。ちなみに、「民衆の歌」のWikipediaの記事には「イラクの反政府デモでも歌われた」と書いてあったが、これのソースが見つけられなかった。(デモの映像に音源がつけてある動画ならあったけど、それは歌われたとは言わないだろう。)

 

運動の場での歌詞の扱い

台湾の運動で歌われていたのは、福建語版だそうだ。ミュージカルの『レ・ミゼラブル』が台湾で公演されたことはないはずだから、公式の台湾語歌詞はないはずである。そのため、おそらく誰かの私家版の歌詞が広まったのだろう。内容はほぼ英語版の訳だが、後半の"France"の部分は"Formosa”(=台湾島の美称)に変えられている。

福建語バージョン「你敢有聽著咱的歌」

youtu.be

 

香港での運動では、2019年には英語で歌われていたが、2014年の運動では広東語の歌詞で歌われていた。下の動画には、広東語バージョンの歌詞の英語訳(ややこしいな)がついているので見てほしいが、広東語バージョンの「問誰未發聲」は、英語版ともフランス語版とも歌詞の内容は全く異なっている革命歌的な勇ましさは薄まっているが、真実を明らかにすることや公正な選挙権といった、香港の人々の要求が具体的に盛り込まれた歌詞になっている。2014年の運動の中で、ネットで公開された歌詞が広まったものだそうだ。

広東語バージョン「問誰未發聲」

youtu.be

 

「民衆の歌」を運動歌にすることの意味

「民衆の歌」の運動の現場での受容について、使われ始めたタイミング(2014年)を考えると、2012年の映画を通じて知った人が多いと想像できる。また、香港の運動も日本の国会前も若者中心の運動である。そもそも、海外のミュージカルの曲を歌えるのはインテリの若者だけだろう。

香港の運動で英語で歌っているのを見て、これはインテリの運動だと失望したと書いている人をtwitterで見た。これは私の想像だが、広東語ではなく英語で歌っていたのは台湾や本土への連帯の意味があるのではないか?あと、広東語版はあくまで2014年の運動の中で作られた替え歌のようなものなので、2019年の運動の中心にいた人たちは必ずしも皆歌えるわけではなかったのかもしれない。

ただし、乱暴なことを言えば、日本ではミュージカル自体がインテリ・プチブルのものなので、街頭で連帯するのには向いていないかもしれない。日本でこれを歌いたがる人たちの中には、従来の革命歌は「ダサい」から歌いたくないが、これなら歌いたいという感覚が見受けられるので、少々気に入らない。台湾や香港の若者の中で、「民衆の歌」が受け入れられたのは、従来の中国語の共産主義的な文脈で歌われてきた革命歌とは別の新しい運動歌が必要とされたからだろう。ひまわり運動では「島嶼天光」のようなオリジナルな運動歌も作られたことだし。

 

個人的な感覚だが、「民衆の歌」はあくまでミュージカルの劇中歌であり、それを街頭で歌うことには何となく気恥ずかしさがある。感覚としてはアニメソングを人前で歌うのにに近い。また、モデルとなった出来事があるとはいえ「レ・ミゼラブル」はあくまでもフィクションである。連帯の媒体となる革命歌がフィクションであるのは寂しい感じがする。国際連帯の場では尚更だ。フィクションを通じてしか革命のイメージを共有できないのはあまりにも悲しくないだろうか。(しかも失敗した革命だし・・・)

香港の運動のように、独自の歌詞をつけ、運動歌として新たな文脈を生み出したものであれば、これも克服できる気がする。

 

コロナ禍での受容と発展

さて、最近「民衆の歌」が話題になっていた。ミュージカル俳優の方々が「民衆の歌」を歌う動画を配信する企画をやっていたためだ。これは、コロナ情勢の中「家にいよう」キャンペーンの一環である。

超豪華キャストでびびる。ラミン・カリムルーまでいるし・・・

natalie.mu

何故このような企画が行われたのかというと、もともと、自宅待機期間中にアーティストが自宅で演奏した動画を公開するというムーブメントがあった。その中で、ウェストエンドのミュージカル俳優たちが「民衆の歌」を歌うという全く同じ企画をやっていた。前述の企画はこれを日本に輸入したのだと思う。

youtu.be

 

ここまで読んでくださった奇特な方には、もはや「民衆の歌」は、単に「みんなでがんばろう」的な歌ではないという点には疑問の余地はないだろう。6月暴動の背景にペストがあったことも鑑みれば、この歌を歌いながら街頭やら国会前に繰り出し政府を倒すのが正当な活用法と言える。独自の替え歌を作ると、もっと盛り上がるかもしれない。(そういう人、デモでたまに見るよね)

しかし、今回の企画は別に「民衆の歌」であるということに取り立てて意味があるわけではなく、単に自宅にいる人にコンテンツを提供しようという趣旨なので、そこまで怒るようなことではないと思う。

 

 

(いろいろ書いたけど、実はレミゼを劇場で見たことないんだよね。チケットが取れなくて・・・)

 

See also:

舞台の感想。

iceisland.hatenablog.com

レミゼ語り第二弾。ジャベールについてひたすら語っている。

iceisland.hatenablog.com