RED & BLACK

観劇日記

【感想】『ロード・オブ・カオス(Lords of Chaos)』

『ロード・オブ・カオス』見てきた。

Lords of Chaos(邦題:『ブラック・メタルの血塗られた歴史』)というドキュメンタリー本を原作にした映画で、初期ブラックメタルシーンの有名なアレコレを描いている。

映画としての面白さよりも、ブラックメタラーからの視点で見てしまうが、感想を書きます。

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音響をウリにした劇場で見たのだが、度々音が途切れたり、ハウリングしたりで、何だかなあという感じだった(名誉のためにどこの映画館かは書かないことにする。シネマートではない)。終了後、もう一回無料で見られる券をくれたのだが、もう一回は見たくない・・・

ともあれ、ライブシーンは音声に異常もなく楽しめた。Freezing Moonを大音響で聞けるというだけで、ライブシーンだけでも見た価値があった。もちろん実物の音源じゃないのだが、モノマネも上手かった。

 

主人公はユーロニモスで、デッドとの出会いからヴァーグ・ヴァイカーネスに殺されるまでを描いている。「真実と嘘、そして実際に起こったことに基づいた物語」とあるが、本人たちしか知らない細部や思っていたこと以外は、基本的には事実に基づいているという印象だ。(本人たちからすると違うのかもしれないが)

 

ブラックメタラーや登場する本人たちからは結構不評な作品で、私もはじめは何か嫌だなという気持ちになった。結局は、川嶋未来氏が言うように、「夢を壊されて嫌がっている」ということになると思う。

私はユーロニモスが殺された93年生まれなので、当然リアルタイムで初期ブラックメタルシーンを経験していない(そんな日本人は川嶋未来含む数人しかいないんじゃないか)。2000年代にブラックメタルに触れたときには、「自殺や殺人や教会放火をするやばいやつらのジャンル」というイメージがあった。というか、ブラックメタルといえば音楽性よりも先に、そういう現実での犯罪や自殺のイメージが強くあった。映画で描かれているインナーサークル以降、ノルウェー国外でも、Dissecionのジョン・ノトヴェイトはじめ色々なミュージシャンの自殺、ネオナチ方面での発展、ライブでの自傷、Scilencerは精神病患者の叫び声をボーカルに使っているとかの噂もあり。ブラックメタルといえば思想的に異常なやつらのメタルだと思われていたし、そういう伝統は今でも続いている。

そういうやばい音楽を聴いている自分、というような消費の仕方もしてきた。これは、他のブラックメタラーの方々も多かれ少なかれそういう面があると思う。

それに対して、「実は彼らも普通の若者で、そういうイメージになっちゃって苦しんでました」と言われるとウッとなってしまう。しかし、よく考えれてみれば、そうかなとも思う。90年代はまだ他者をキャラ的、アイドル的に消費するのが許される時代だったけど、今はもう違うよね、ということかもしれない。

みんな普通の若者で、音楽やって、たまり場でダラダラして、彼女とセックスをして、教会を燃やして、楽しそうで良かったねという感じだった。(良くはない)

ちょっとイメージとは違ったが。映画ではパーティでウェーイみたいな感じだったが、もっとオタク集団だと(勝手に)思っていた。あとみんな実家が太いのも意外だったが、それは事実みたいだ。

 

でも、やっぱり彼らの思想が全部「ポーズ」でした、というのは違うと思うんだよな。単に売れるため、注目を集めるためのパフォーマンスではなかったと思う。本気で悪魔主義(有神論的な)を信じていたかは別として、キリスト教的価値観に違和感を感じていたのは事実だろうし。

個人的には、ブラックメタルの思想は自分を「悪」に位置づけることで解放されたり救済されたりという面があると思っている。殺人も教会放火もしていないけど、個々に理論建てて今もまだ悪魔崇拝とかその他の思想を掲げて活動しているブラックメタルのアーティストは結構いるわけで。やはり、北欧のブラックメタルシーンでは、Venomのジョーク的な悪魔崇拝とは違って、たしかに共感があったと思う。

 

この映画ではブラックメタルの伝説のミュージシャンたちがアホみたいに描かれているが、何となく、まだ生きている人たちには厳しめ、死んだ人たちに優しめな描写だった気がする。

ユーロニモスもデッドも繊細な美青年という感じだった。ユーロニモスとデッドってあんなに仲良しだったんだろうか。デッドと仲良しといえばネクロブッチャーさんという印象があった。デッドはユーロニモスが殺したという説もあったから、それには心を痛めていたのかもしれない。

ヴァーグ・ヴァイカーネスの描写は明らかに悪意があった。ぽっちゃりした育ちの良い男の子という感じ。当時あんなに太っていなかったはずだし、本人が「俺はあんなユダヤの豚じゃない」と言ってた意味が若干分かった(ユダヤの豚呼ばわりを肯定している訳ではない。念のため)。

記者が「悪魔も、北欧神話も、ナチスも好きなの?変なの~」みたいにいう場面があるのだが、別に矛盾しているわけではないと思うし・・・(現在本人は悪魔崇拝は否定している)。彼の思想は全く肯定しないが、20年以上かなり一貫した主張をしている。あんまり厨二病の暴走みたいに描くのは何だかなと思った。ただし、ノルウェーで大量殺人を起こしたブレイビクをはじめ、彼の思想を肯定するフォロワーは今でもいるから、描写には気を使ったのかもしれない。パンフレットを見ると、ヴァーグには許可を取らずに映画を作ったみたいだが、曲の権利はどうなっているんだろうか。

ユーロニモスやヴァーグ以外の人たちも、だいぶしょうもない感じで描かれていた。いつもヘラヘラしていて肝心な場面になると逃げてしまうヘルハマー。スプラッタ映画ばかり見ていて殺人をしてしまうファウスト。ヴァーグの家に居候してパシられているブラックソーン。

マトモなのはデッドが死んだ後ユーロニモスにキレてMayhemを脱退するネクロブッチャーさんと、ちょっとしか出てこないアッティラ

ちなみにEmprorのイーサーンやDarkthroneのフェンリスも出てきたらしいのだがどこか分からなかった。

 

映画では、殺人や自傷シーンがかなり執拗にグロテスクに描かれている。見るのは辛かったが、必要な描写だったと思う。ブラックメタルシーンの「殺人」や「自傷」を記号的に消費してきたが、それを現実に引き戻すためには、ああいう描写が必要なのかと思う。

 

当事者の人たちが、自分の視点で当時について語ってくれる契機になったのは良かったと思う。また、ブラックメタルファンとしても今までの消費の仕方を振り返ることができ、よかった。

ヘルハマー、ネクロブッチャー、アッティラはMayhemを再結成して活動しており、そこにブラックソーンもゲスト参加したりしているようで、彼らなりの過去への向かい合い方なのかなと思う。ファウストは出所後も短期間だがEmperorに参加したり、今でも昔の仲間と交流しているようだ。一方、同じ殺人犯でも、ヴァーグは獄中でずっと一人で音楽活動を続け、周りにシンパしかいないようだ。

やっぱりMayhemの1stアルバムは傑作だし、初期のBurzumも独特の魅力があった。それがユーロニモスが死んで、ヴァーグが収監されて終わってしまった(ヴァーグは獄中でもアルバムを出していたが、方向性は変わってしまった)のは残念だ。ヴァーグがユーロニモスを殺さなければ、今以上に面白い音楽の発展があったのかなと想像してしまう。

 

以下、当事者や関係者の映画への反応

 

ヴァーグ:

YouTube動画がいっぱいあるが、とりあえずこれ。

the-ultimate-media.com

アッティラ・シハー、ヘルハマー、ネクロブッチャー、ブラックソーン:

映画化には反対だったとのこと。

news.mynavi.jp

Darkthroneのフェンリス:

これまた映画化には反対意見

metalinjection.net

川嶋未来

ave-cornerprinting.com

 

See Also:

WATAINが来日公演して(個人的に)盛り上がっていたときに書いた記事。ノルウェイジャンよりもスウェディッシュ・ブラックメタルの方が好きです。

iceisland.hatenablog.com

 

iceisland.hatenablog.com

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