RED & BLACK

観劇日記

アップデートされたパワフルな人間ドラマ|ミュージカル『ミス・サイゴン』2022年

ミス・サイゴン』見てきた。2014年にウェストエンドで25周年記念公演を見て以来の『ミス・サイゴン』でした。

とにかくすごい迫力で、人間ドラマとして素晴らしかった。

 

基本情報

2022年8月17日(水)マチネ@帝国劇場

 

キャスト

キム:昆夏美

クリス:小野田龍之介

エンジニア:駒田一

ジョン:上原理生

エレン:知念里奈

トゥイ:西川大貴

ジジ:則松亜海


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感想

とにかく迫力がすごくて、終始圧倒されっぱなしだった。全員声の圧がものすごくて、音圧だけで涙が出てくる。アンサンブルも30人くらいいて豪華。舞台いっぱいに人がいるといいね!やっぱり豪華で派手でお金のかかった舞台は楽しい。

席も2階の前方で、よく見えて音も響く良い席だった。今まで帝劇で観劇するときは1階後方が多かったので、帝劇は見づらいし音響も悪い劇場だと思っていたのですが、そんなことなかった。

 

特にパワフルだったのがキム役の昆さん。キムがおかれた救いのない状況の中で、行き場のなくなった感情が爆発しているかのような歌い方。ただただ圧倒され、キムの感情に引きずり回されるような3時間だった。

今回のキムは、一人の女性というよりは幼い子供として描かれている。クリスと話すときの口調とか、とても子供っぽい。前回昆さんを見たのがnext to normalのナタリー役だったので、キムはナタリーと同じくらいの年頃の守られるべき子供なんだと感じた。

キムがクリスとセックスしてすぐに結婚したと信じ込んでしまうところも、もともとは「アジア人の女性は純真」という偏見によって書かれたんだと思うが、今回の演出ではキムが子供っぽさを強調するエピソードとしてうまく機能していたように感じた。

 

キムを子供として描くことで、キムとクリスの関係も、ラブストーリーとして肯定されるものではなくなっている。

キムがクリスとアメリカに執着するのは、愛というよりは現実逃避だ。キムにとって、クリスと共にアメリカに行くということは、現実から逃れられる「ここではないどこか」に行くことであり、まさに「夢」という言葉が相応しい。タムをアメリカに送りたがるのも、エンジニアのようにアメリカで裕福な生活をおくらせたいという現実的な願望ではなく、ただ苦しい現実から抜け出すという幻想に依存しているだけなんだと感じた。

 

キムが子供として描かれていることで、クリスは、自分ではキムを救おうとしているつもりだが、実際は子供とセックスして搾取している男という立ち位置になっている。これは、アメリカ(や日本やフランス)が植民地主義によって、勝手にベトナムや他のアジアの国々を「保護」しようとして支配したのと、ちょうど相似形になっている。

小野田クリスがかなり好青年らしかったので、たとえ良い人でも無自覚に搾取してしまうということが余計に強調されて、気持ち悪くて良かった(褒めています)。戦争の中で無力感に苛まれたクリスにとっても、キムを「救う」という物語に逃げこみたかったんだろうな。

 

一方、トゥイは女性をモノ扱いして暴力的に支配する家父長制を体現するキャラクターになっている。

西川さんのトゥイは、ストーリー上は悪役だけれども、人間的な部分も感じさせる演技で良かった。ただ、キムを子供として描くんだったらトゥイも子供として描いてほしかったな。設定上は、トゥイはキムと同い年だったはず。ウェストエンドで見たトゥイは、生きのびるために、家父長制や出世に巻き込まれざるをえなかった子供として描かれていて好きだった。日本でもこの方向性でやってくれないだろうか。

 

全体的に、古い作品を演出でアップデートして、人間ドラマとして素晴らしいものになっている。

ミス・サイゴン』といえば反戦がテーマと言われることが多いけど、そういう印象は持たなかった。ストーリーの舞台は戦争中ではあるけど、普遍的な人間関係を描いていると思うし、そもそも元になった『蝶々夫人』も戦争中の話ではないし。

それに、戦争がテーマだと感じられるほど、戦争についての描写の解像度が高くないように思う。昔の脚本だから仕方ないとはいえ、当時のベトナムの状況や人々の描写に無頓着なところが散見され、やっぱり西欧目線のストーリーだと感じてしまった。

 

まず、キムは「家族を殺されて村が焼かれた」と語るのだが、家族を殺したのが誰なのかは明かされないことが気になった。キムの家族を殺したのが南側なのか北側なのかで、キムの行動の解釈がかなり変わると思うんだけど、なんでそんな重要なことが明かされないんだろうか。

 

あと、エンジニアやジジたちがアメリカに行きたがる理由が「夢」という曖昧な言葉でしか語られないことも違和感があった。

前述のとおり、キムがアメリカに行きたがるのを「夢」というのは分かるが、エンジニアやジジたちの状況はそんなフワッとした言葉で表現すべきものなんだろうか。サイゴン解放直後に難民になった人たちの多くは、南ベトナム政府関係者や資産家だったそうだ。エンジニアやドリームランドのセックスワーカーたちにとっては、アメリカに行けば裕福な暮らしができるというよりは、米兵を相手に商売してきたから北ベトナム政府に弾圧されるかもしれないという現実的な不安の方が強かったのではないか。

このあたりの描写が雑なのは、現実にベトナムから難民として逃れてアメリカに住んでいる人たちに対して差別的だと感じた。別に経済難民が悪いとは思わないが、はすみとしこの難民ヘイト・イラスト的な捉え方をする人もいるのだから、丁寧にやった方がいいと思う。

 

冷戦期に西側で作られた作品なので、共産党政権が露骨に悪者として描かれてるのはまあ仕方がないのかもしれないが・・・The Morning of the Dragonは、いかにも悪な感じの曲調、反共全開の歌詞、オリエンタリズム丸出しのダンスの三拍子揃っていて、かなり辟易とする。

あと、3年後のトゥイは「ホーチミン市人民委員長」らしいが、それは多分ホーチミン市長に相当する役職なので、20歳の田舎の若者がなれるものではないのでは。あとベトコン(南ベトナム解放民族戦線)出身者は統一後冷遇されていたらしいので、トゥイはそんなに出世できないと思う。あと人民委員長って軍服着てるものなんだろうかとか、いろいろ気になってしまった。

 

今回、結婚式のシーンのベトナム語は意味が通るように変更されたらしい。これからも上演していくのだろうし、これからも文化を尊重する方向にアップデートしていってほしい。

 

See also:

昆さんつながりで。

iceisland.hatenablog.com

帝劇つながりで。

iceisland.hatenablog.com