RED & BLACK

観劇日記

【感想】ミュージカル『ひめゆり』2021年

ひめゆり』見てきました。先月の『夢から醒めた夢』でファンになってしまった、ピコ役の四宮吏桜さん、メソ役の山科諒馬さんが出演ということで、衝動的にチケットを取って行ってしまった。

ミュージカル座ははじめてだったけど、とても良かった。

 

基本情報

2021年7月10日マチネ@戸田市文化会館大ホール

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キャスト(星組

キミ:社家あや乃

ふみ:松崎莉沙

はる: 四宮吏桜

ちよ:松崎梨央

ゆき: しらたまな

上原婦長: 吉沢梨絵

檜山上等兵: 山科諒馬

滝軍曹: 戸井勝海

 

感想

凄惨な沖縄戦を描いた作品だが、戦争の悲惨さをアピールするだけでなく、エンターテイメントになっている。

 

話の筋としては、主人公であるひめゆり学徒”キヨ"の成長譚である。

若いときって、理想を唱える大人がすごくかっこよく見えて、憧れたりしますよね。キヨは、先生の言う「お国のために戦う」という理想や、上原婦長の看護師として人を救うという理想に憧れる。しかし、その理想はことごとく戦争の現実の前に敗北する。それでも、キヨは、理想と現実の間を何度も往復しながら成長していく。

自分はもちろん戦争という劇的な体験はしていないけれど、現実の前に敗北しつつも少しずつ成長して大人になっていく、という人間として普遍的なあり方が描かれていて、共感した。

キヨは、理想を語るシーンが多いので、ともすればイヤな感じになってしまいそうだが、キヨ役の社家あや乃さんの熱烈な演技でとても共感できるキャラクターになっていた。

 

特に、女子学生だったことのある人間としてはかなり共感できるようにできている作品だと思った。特に1幕途中で”ちよ”が亡くなるシーンはやばかった。このシーンでグワーっと泣いてしまい、その後ずっと泣いていた。だって友達と一緒に甘いもの食べたり、かっこいい先輩のおっかけをしたり、したことあるじゃん(川で溺れたことはないが・・・)。

 

ひめゆり学徒隊について詳しいわけではないが、物語が進むにつれて史実からは離れてフィクションになっていく。主人公たちが生き延びるストーリーには多少ご都合主義的な部分はあるが、物語としてのカタルシスが大きいのであまり気にならなかった。

クライマックスでの、キヨと滝軍曹が、米軍に投降するかどうかで争うシーン、銃と白旗で戦うのはかっこよすぎる。やっぱり、ミュージカルのクライマックスには、信念と信念のぶつかり合いの二重唱があると最高なんですよね。そういえば私の好きな舞台ってみんなそういうシーンがあるかも(『レ・ミゼラブル』『アナスタシア』『マリー・アントワネット』・・・)。

また、ラストで亡くなったキャラクターたちが集合する演出もお約束だけど、大好きなので良い。

 

序盤、主人公たちひめゆり学徒の見分けがつきづらいのは困った。

戦前に限らず、日本の学生は、同じ制服に同じ髪型で、個性を消すようになっている。これは舞台とは相性が悪い。舞台上では同じ服装だと見分けがつかないので困るし、メインキャラらしくなくて「大衆」になってしまうので、難しい。

この作品のひめゆり学徒たちも、序盤では、表向きは「臣民」として集団的な存在だが、本心では、家に帰りたかったり任務が怖かったりといった個々の心情がある。物語が進むにつれて、本心の部分がクローズアップされてきて、行動にも現れてくるので、見分けがつくようになってくる。

 

四宮吏桜さんが演じる”はる”はコミックリリーフ的な役。コミックリリーフと言っても、歌っている内容は「死んじまえ鬼軍曹」「捕虜になったら犯されて戦車で潰される」なので迫力がある。『李香蘭』を見たときも思ったが、悲惨な歴史ものにお笑いシーンを入れるには絶妙なセンスが必要だが、この作品は嫌な感じにならず、うまくいっていると思った。

最後の方は壮絶な展開が続くので、はるちゃんず3人組が唯一の癒しになり、はるちゃんずの曲が流れるとホッとするようになってしまっていた。

四宮吏桜さんはピコに引き続き親しみやすい演技で、見ていて非常に気持ちが良い。

 

日本兵の滝軍曹と檜山上等兵は、対照的なキャラクター。山科諒馬さんが演じる檜山上等兵は、日本軍の侵略と蛮行に批判的で、それを気に病んで自殺しようとする。『夢醒め』のメソは自殺したし、ユタはいじめられているし、山科さんはどうもシリアスな役柄が多いらしい。山科さんはバレエダンサーということで、メソのダンスナンバーはすごく良かったけど、今回の檜山上等兵はダンスシーンがないのでちょっと残念だった。まあずっと怪我してるから仕方ない。

一方、滝軍曹は典型的な日本兵で、沖縄の住民に不信感を持っているため、壕で沖縄女性と赤ちゃんを殺してしまうのだが、シマッタという顔をするので少し救いがある。滝軍曹も生い立ち?を語るナンバーがあるのだが、設定がよく分からず。

 

国産ミュージカルにはよくあることだが、この作品も、一部を除いて音源が手に入らないので予習していくことができなかった。

曲を知らないで見に行ったので不安だったが、キャッチーな曲が多いし、ちゃんと(というと失礼だが)、同じメロディーが繰りかえし使われるので杞憂だった。帰ってきてから3日くらいずっと脳内で「小鳥の歌」が再生されている。それに、日本語ミュージカルだから歌詞も分かりやすいし、聞き取りやすい発音の俳優さんばかりで良かった。

 

今回、5列目のセンターブロックという自分史上最高の良席で見た。オペラグラスが要らないどころではなかった。DVDみたいだな~とアホなことを思いながら見ていた。

 

ミュージカル座の舞台は初めてだったのだけど、歌のレベルとしては東宝や四季と同程度ではないだろうか。

しかし、観客の相当な割合がおそらく出演者の身内であろう雰囲気だったので驚いた。こんなにクオリティの高いものになぜ人が集まらないんだろうか。

埼玉だから?戸田というところも、はじめて行ったけど、都心から1時間かからずに行けるところとしては結構な田舎だった。

 

See also:

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国産ミュージカル×昭和の歴史が最強説。

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【感想】ミュージカル『レ・ミゼラブル』2021年

ついに初レミゼしてきたので感想です。

原作も読んだのに、今まで生でレミゼを見たことがなかったんですよね。2012年の映画版を見ただけでした。映画版レミゼの話をすると皆ラッセル・クロウ・ジャベールの悪口を言うけど、私はラッセル・クロウが好きなのであまり気にならない。

2019年の公演は、まだチケット取りの術を知らなかったので(今もあんまり知らないけど)、普通にチケット戦争に敗れ、見にいけなかった。今年は母が見たいと言ってたので頑張ってチケットをゲットしたのですが、当日の朝になって母が体調不良で行けないと言い出して困った。当日にも関わらず、Twitterのフォロワーさんが一緒に来て下さることになり、本当に良かった。ありがとうございました。

 

基本情報

2021年6月25日(金)ソワレ@帝国劇場

キャスト

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ジャン・バルジャン:吉原光夫

ジャベール:上原理生

ファンチーヌ:知念里奈

エポニーヌ:唯月ふうか

マリウス:竹内將人

コゼット:熊谷彩春

テナルディエ:駒田 一

テナルディエの妻:森公美子

アンジョルラス:小野田龍之介

ガブローシュ:重松俊吾

指揮:若林裕治

 

感想

初のレミゼ、全体的には「早送りみたいだな・・・」という印象だった。特に1幕、次から次に場面が移り変わり、息つく暇もない。ストーリー上、これ以上削れるシーンはない気もするが・・・フランス版を見たことはないが、銀の燭台のくだりがないなど、ストーリーを分かっている人向けの脚本だったそうなので、このバージョンよりはゆったりしていたんだろうと思う。

シーンの移り変わりで大きな扉が登場するのだが、扉は本の比喩というか、本を開いて物語の世界が舞台に出現するイメージなのかなと感じた。ということは、このミュージカルは本をパラパラ断片的に斜め読みしているということ?

 

舞台設定についてはわざと説明不足にしている感がある。今1832年であるとか、ここはパリだとかツーロンだとかモントルイユ=シュル=メールだとか、そういうことは一切説明されない。「ABCの友」の政治的主張も最小限の描写である。場所・時代に左右されない普遍的な物語ということなんだろうと思うが、さすがに説明しなさすぎな気がする。なぜこの作品をフランス革命の話だと思っている人が多いのか分かった、説明がないからだ・・・

 

いろいろなキャラクターが出てきては、共感する間もなく一瞬で死んでいくという感じが否めない。あまりに高速でストーリーが進むし、台詞があんまり聞き取れないので、なぜ死んだのか分からんだろ見たいな感じのところも多かった。

ジャベールの記事でも書いたんですが、原作とミュージカルの宗教的なメッセージ性はかなり違っている。原作では、愛で人が救われるとことや、現世で正しく生きることは描かれているけど、死んだあとのことは全く描かれていない。ユーゴーは典型的なカトリックではなく、現世で良く生きる、そのために社会を改革するという思想の人である。

それに対して、ミュージカル版では「死んで救われる」ことがめちゃくちゃ強調されている。フォンチーヌもエポニーヌもジャン・バルジャンもABCの友の面々も、「もう死にたい」「死のう」と言って死んでいく。そして、神の国に行ってものすごい満面の笑顔。フォンチーヌもエポニーヌもジャン・バルジャンも「もう死にたい」みたいなことを言って死んでいく。

 

 

キャスト&キャラクターについて

キャストは全員歌がうまくてすごい。ダンスがない演目だから、いかんなく歌うま俳優さんを集められるのかもしれない。

ただし、全体的に、結構歌詞が聞き取りづらかった。ストーリーが詰め詰めなので歌詞も繰り返しが少なくて一回聞き逃すと取り返しがつかないので困る。また、レミゼは普通のミュージカルだと台詞になっている部分が歌(レチタティーヴォ)になっている。日本語でレチを歌う機会はほとんどないせいか、レチの部分は特に聞き取りづらかった。

 

"Lavely Lady"をはじめ、合唱曲の歌詞がめっちゃ下品なのを知らなかったので驚いた。貧しい民衆はみんな下品で愚かに描かれている。まあこれは原作がそう(啓蒙思想)なので正しい。ただ、メインキャラがみんな聖人君子みたいに描かれていてちょっと違和感があった。ジャン・バルジャンとかジャベールとかエポニーヌは、貧しい民衆から「更正」した人たちなわけで、もうちょっと民衆と紙一重な感じにしてほしいというか。特にエポニーヌははじめからいい子すぎて、もうちょっとすれっからし感がほしい気もする。

なので、人間っぽいテナルディエ夫妻とかガブローシュとかグランテールとかが癒し(?)だった。こころなしかテナルディエ夫妻は出番も多いし、曲は長いし、優遇されているキャラだと思う。テナルディエ(妻)が夢見がちな性格という設定とか、説明する必要あった?という感じ。

一番好きだったのはガブローシュ役の重松俊吾さんかもしれない。生意気なんだけど、エポニーヌ姉ちゃんが死んでショックを受けているのは子供らしくて良かった。(ガブローシュとエポニーヌが姉弟だって劇中で説明されてないけど)グランテールはガブローシュの兄ちゃん的な存在なのね。思想的に似通ったところがあるし、いいコンビ。

アンジョルラスだけは聖人君子というか完璧超人でOK。小野田龍之介さんは、MAであんなに嫌なやつ(オルレアン公)だったのに今度はこんな好青年に変身していてすごい。

 

ジャベールが好きなのでジャベールの話をしますが、上原理生さんのジャベールはちょっと若くてかっこよすぎかな・・・ミュージカルのジャベールって、国内でも海外でもみんなイケメンさんですが。

上原さんジャベールは、ジャン・バルジャンにもらった命なんていらねえ!って死んだように見えた。どうでもいいけど、ジャベールとジャン・バルジャンが手錠で戦うシーンは、『エリザベート』のトートとシシィみたいでちょっとどきどきした。

 

 

帝劇のこと

もしかすると、私は帝劇の音響が好きじゃないのかもしれない。オケ、特に管楽器がめちゃくちゃ鋭く響く感じ。一方、歌はあんまり響いてこなくて、「何か遠くて歌ってるな」という感じだった。

帝劇に来たのは今回2回目だった。もう1回は2016年の『王家の紋章』初演だったのだけど、そのときも音楽的にはあまり楽しめなかった記憶がある。

もしくは、帝劇に来るときあまり良い席を取れないせいかもしれない。今回は1階の後方で(ただしセンターブロック)、『王家の紋章』のときは2階席だった記憶がある。前回の観劇が自由劇場だったので、帝劇はめちゃくちゃ広く感じた。あと、帝劇は座席の傾斜があんまりないし、前の席が2人とも男性だったので、舞台はあんまり見えなかった。特に、捕虜ジャベールをジャン・バルジャンを逃がすシーン、舞台の袖側なので、ほぼ何も見えず。以前は座席が千鳥配置ですらなかったとは恐れ入る。

 

背景に映像を使っていて、非常に美しかった。Starsの背景の星とか。ちょっと前までは舞台の背景に映像を使うといかにも投影という感じのぼやけたものだったと思うけど、最近は映像が綺麗だ。『アナスタシア』のときも背景の映像がとても綺麗だったけど、あれは巨大なモニターを使っていたらしい。今回のはどうやっていたんだろうか。

 

See also:

「民衆の歌」の歌詞とか6月暴動の背景をちょっと解説した記事です。

iceisland.hatenablog.com

ジャベールの死についてひたすら書いた記事です。

iceisland.hatenablog.com

 

【感想】『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』2020年

三島由紀夫vs東大全共闘』がアマゾンプライムで見られるようになっていたので、見た。

1969年に東大で行われた三島由紀夫と東大全共闘の討論会についてのドキュメンタリー映画である。当時、討論会をTBSが取材しており、映像を発掘したので制作されたらしい。

 

テレビ局が制作したとあって、全体的に、映画というよりもテレビ特番のような作りになっている。タイトルは「50年目の真実」とセンセーショナルだが、劇中で何かが明らかになったりはしない。

討論会の内容の難しい部分に対して、随所で現代の論客などが出てきて解説してくれるのは親切である。特に小説家の平野啓一郎は分かりやすい。また、討論会の映像の合間に「三島と若者」などのトピックが挿入され、観客を飽きさせない工夫がある。

 

監督は東大教養学部卒の方らしいが、左翼運動史にはあまり詳しくないようで、全共闘運動に対する説明はかなり怪しい。

例えば、全共闘のことを「セクト主導ではない運動」と説明しているが、流れている映像は革マル派だったりする(革マルとか中核とかの名前を出したくなかったのかもしれない)。また、解放区の例として、安田講堂事件での安田講堂を挙げているのも謎である。解説に小熊英二を呼んでいるのにどうしてこうなってしまったのか。

はたまた、「900番講堂はいまだに存在している」という一文など(あったらいけないみたいだ)、文章力じたいを疑わせるような部分もある。

 

制作の意図としては、「1000人の左翼(=敵)の中に単身飛び込んで男らしく戦ったカッコいい三島由紀夫」像を描きたかったと思われる。

しかし、予想に反して、討論は激論という感じではない。三島の話はユーモアがあって面白いし(さすがだ)、学生側もそれに笑っていて、和やかな雰囲気である。三島が学生たちに対して「一言天皇といってくれれば共闘する」「楯の会に入らないか」と言ってみたり、三島を間違えて「先生」と言ってしまった学生が「そこらの東大教授よりはよほど先生と呼ぶに値する」と発言したり、馴れ合い的ですらある。内田樹は「三島は学生たちを本気で説得しようとしている」と解説しているが的外れで、こういう態度は明らかにポーズである。

この馴れ合い的な雰囲気は、芥という演劇学生と三島の間で頂点に達する。討論会の途中で登場した芥は三島と芸術論を戦わせる。そこで、別の学生が、芥と三島の議論が観念論にすぎないと言って壇上に上がってくるのだが(この学生が正しいと思う)、芥は三島と一緒に煙草を吸ってその学生を茶化す。討論会なんだからちゃんと議論するべきなのに、三島と芥は俺たち芸術家同士とばかりにベタベタと親密さアピールをしていて、かなり嫌な気持ちになる。

 

多くの人が指摘しているように、この作品はめちゃくちゃ「男らしい」映画である。子1000人の男たち(女子学生もいたが本当に少しだけ)の中に、1人のマッチョな男が乗り込んで戦う構図だから、当然ではある。まあ、そういう「男の戦い」のストーリーを貫いてくれるならば、それはそれで爽快でいいが、実際は上述の通り、三島と学生たちはイチャイチャ馴れ合いをやっており、あんまりカッコよくない。

それを打ち消すかのように、瀬戸内寂聴楯の会メンバー(だった人たち)が、三島はカッコよかったという証言をする。が、そのカッコいいエピソードと言えば、三島が飲み会に美人の「スッチー」をたくさん呼んでくれて一緒に遊んで楽しかった、とか、かなりしょうもない。また、瀬戸内寂聴は、この映画に唯一登場する女性だが、情報量皆無の単なる持ち上げ発言しかないのも、最悪である。

「男らしく正々堂々と言論で戦う」という筋立てじたいが、三島がパフォーマンスによって作りあげた自己イメージに乗せられていることに、制作側が全く気づいていないらしいのも残念な感じがする。「男の戦い」なるものが実際はイチャイチャベタベタ馴れ合いをやっているだけ、ということが明らかになっているのは、結果的には良いのかもしれないが・・・

 

【感想】ミュージカル『夢から醒めた夢』2021年

『夢醒め』見てきました。大好きな演目なのですが、観劇するのははじめて。やっと見られて嬉しい!!

『夢醒め』は劇団四季のオリジナルミュージカルで、子供向けではあるのだが、大人が見ても超絶いい演目。今回、千秋楽だからかもしれないが、子供は10人くらいしか来ていなくて笑った。チケットも一瞬で売り切れたしね・・・

 

基本情報

2021年6月6日(日)マチネ(千秋楽)@自由劇場

 

キャスト

ピコ:四宮吏桜
マコ:笠松はる
マコの母:野村玲子
メソ:山科諒馬
デビル:坂本岳大
エンジェル:権頭雄太朗
ヤクザ:加藤敬二
暴走族:近藤真行
部長:澁谷智也
老人:山口嘉三
老婦人:服部幸子
夢の配達人:鈴木涼太

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感想

最高の観劇体験ができてびっくりした。観劇している間、まったく舞台の外のことを考えないくらい集中していた。こういうことははじめてで、本当に驚いている。と同時に、『夢醒め』は、観客が舞台に入り込めるように、丁寧に丁寧に作られた作品だということに気づいた。

まず、作品の冒頭。「夢の配達人」はわれわれ観客に、演劇とは夢である、と語る。さらに、演劇において観客の意識は舞台の上の俳優と一体化すると告げる。

そしてピコが登場。ピコはまだ名前もない、単なる「女優」の状態。ここで観客は、この女優さんが演じる役に共感すればいいのだということが分かる。女優さんが夢の配達人から「名前はピコ」と告げられる。と同時に、観客も「ピコ」になる。

ピコは物語のはじめからファンタジー世界の住人というわけではない。われわれ観客と同様、おばけにも幽霊にも会ったことがなく(いや、会ったことのある観客もいるかもしれないが)、会ってみたいと感じている。夢の配達人に導かれ、夜の遊園地で楽しく歌ったり踊ったりしているあいだに、観客は感情的にピコに共感するというよりも、身体感覚からすっかりピコと同化してしまう。本来はロビーパフォーマンスで観客も実際に遊園地の人々と触れ合っているから、このシーンはさらに効果的なのだろうな。今年の公演では、コロナのためか残念ながらロビーパフォーマンスはなかった。

そこで満を持してマコが登場。ピコ=観客はマコと出会い、戸惑いながらも、霊の世界に旅立つことを決める。

というわけで、観客がピコと共に霊の世界に旅立つまえに、観客が演劇の世界に没入できるための仕掛けが2重3重に張り巡らされている。まるで催眠術だ。こんなに親切設計なのは、やはりこの作品がファミリーミュージカルだからだろう。はじめて演劇にふれる子供に(大人でも)、舞台の楽しみ方を教えてくれるのが『夢醒め』なのだ。

個人的には、この丁寧さの対極にあるのが『キャッツ』だと思う。説明もストーリーもなく、いきなり猫の世界に放り込むスパルタ教育。なので『キャッツ』がミュージカル初心者向けという風潮には断固抗議していく(?)

 

演劇において、観客が演劇の世界に入っていったとき、何か引っかかるものがあると、それをきっかけに現実に引き戻されてしまう。これは必ずしも悪いことではなくて、舞台を見ている間に自分の記憶や経験が喚起されて、考えさせられるという効果もある。しかし、『夢醒め』ではそういう引っかかりになりうるものは全て排除されている。

カンパニー全員がめちゃくちゃ歌がうまいというだけでなく、おそらく意図的にそうしているんだろうけど、全員癖のない綺麗な声だった。ふつう、ミュージカルだと、声の個性は俳優さんの武器になる。けれど、今回の公演では、キャストからアンサンブルまでみんな合唱のような声質で驚いた。

また、台詞や歌詞も良い意味で引っかかりがない。観客が「いや、それは違うだろう」と思うようなことは誰も言わない。耳から入った歌詞がまったく抵抗なく直接脳に届いてしまう。劇中で提示される価値観は、誰もが認めるような正論で、いってみれば綺麗事だ。しかし、綺麗事だからこそ、万人の心に直接届くのだ。

特に、ピコは観客が同化するための依り代だから、誰もが共感できるような普遍的なキャラクターでないといけない。「明るくて元気な優しい女の子」というイメージそのものになる必要がある。その点、四宮吏桜さんのピコは、純粋で誰にでも愛されるキャラクターで、完璧だった。

 

1986年の初演から30年以上たっているということで、さすがに時代がかっている演出もあるが、それ以上に年月を超えて届くものが多い。

この作品のいちばんの「お涙頂戴」ポイントである、不幸な死に方をした子供たちのシーン。3人の子供たちのうち、3人目はそのとき起こっている紛争や災害に変えることになっているのだろうか、今回はパレスチナ人ということになっていた。子供たちは「明日も悲しみが絶えることなく/いいえ明日はもしかしたら」と歌うが、30年たっても世界は全く変わっていなくて、3人目のネタはまったく尽きなていない。つらい。(現実に起こった紛争の写真を映し出すという演出はおそらく『ミス・サイゴン』の「ブイ・ドイ」にインスパイアされていると思う。『李香蘭』の「きけ、わだつみの声」のシーンもだいたい同じなので、浅利氏はけっこう気に入ったんだと思う)

メソは、初演のときは受験に失敗して自殺という設定だったらしいが、いじめで自殺というふうに変わってから、もはや設定を変える必要はなくなったのも悲しいな。私はメソというキャラクターが大好きなのだが、メソ役の山科諒馬さんが素晴らしすぎて、この方を配役してくださってありがとうというしかない。歌もダンスもうまいし、頑なな感じがメソっぽくて良かった。バレエダンサーの方で、ミストフェリーズもやっていたそうで、納得のダンスのうまさと優雅さ。メソのナンバー「メソの過ち」のキレキレな振り付け、本当に素晴らしかった。5億回見たい。

グレー三人組の設定は、さすがに時代だが、これはしょうがないかな。リストラされた部長はともかく(高度成長期やバブルと言っているけど)、ああいうヤクザや暴走族って今はもういない。けど、何に代替すればいいかと言われるとよく分からん。

 

これまでの公演を見ていないけど、演出が変わったところは少し分かった。

ピコとマコの衣装が知っているのと違っていたので、新しくなったのかな?と思ったが、昔に戻ったんですね。野村玲子さんがマコを演じていたときの衣装らしい。このバージョンは、二人ともお人形みたいでかわいい。特にピコの衣装はショートパンツよりもこっちの方が好き。

霊界空港職員が男性アンサンブルオンリーで、不幸な子供たちが女性アンサンブルオンリーになったのは、アンサンブルの人数の問題なんだろうか。以前の演出では、霊界空港の女性職員はミニスカートにハイヒールでかっこよく踊っていたが、もはや空港の女性職員がそういう服装をする時代ではないということかもしれない。職員は役人らしいし(雇用している主体は何なんだろう)、男性だけの方が問題だと思うが・・・霊界空港にもパリテを導入せよ!

 

今回、ようやく『夢醒め』を見られて本当に良かった。こんなに素晴らしい作品だから、この先何度でも見たい。ぜひこれからも続けてほしいものだ。

 

See Also:

今回暴走族役の近藤真行さんは、『李香蘭』では杉本役を演じられてました。

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地方公演だとハコが広すぎることもあり、自由劇場の狭さがありがたくなりますね・・・

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【感想】ミュージカル『キム・ジョンウク探し(김종욱 찾기)』(配信)

ミュージカル『キム・ジョンウク探し(김종욱 찾기)』を、YouTubeでの無料配信で見た。韓国観光公社主催の無料配信企画はもう3回目だが、こんなに気前がよくて大丈夫だろうか?

 『キム・ジョンウク探し』は、大学路でロングラン上演されているコメディ・ミュージカル。映画化もされていて、映画版(邦題:『あなたの初恋探します』)は俳優のコン・ユ氏が出ているので有名らしい。Amazon Primeで見られるらしいので、今度見たい。

 

キャスト

女性:チョ・ヨンファ

男性/キム・ジョンウク:パク・ガンラム

マルチマン:ムン・ジュニョク

 

主人公の女性と男性は、その公演で演じる俳優の名前になるらしい。「マルチマン」はその他モブキャラを全部一人で演じる。

 

あらすじ

主人公の女性(今回はヨンファ)は新聞記者だが、女性であるために海外の仕事をさせてもらえず、編集長と喧嘩になり、売り言葉に買い言葉で仕事をやめることになってしまう。ヨンファの父は軍人(警察官?)で、娘が仕事をやめたことを知ると、結婚させようとする。父が出した結婚相手募集の新聞広告を見て、(意外にも)いい男がやってくるが、ヨンファは「初恋の相手が忘れられない」と言って断る。

そこで父親は、もう一人の主人公である男性(今回はガンラム)が経営する「初恋探し事務所」に娘を連れて行く。ヨンファは9年前、インド旅行で会った「運命の人」キム・ジョンウク氏が忘れられないと語る。

ヨンファとガンラムは初恋の人を探し始めるが、名前しか分からないので捜索は難航。しかし、一緒に財布をスられたり、山で遭難したりしているうちに、2人は距離を縮めていく。

契約の最終日、2人はクラブに飲みに行き、ガンラムはヨンファに告白しようとするが、ヨンファは逃げ帰ってしまう。ヨンファが落としたキム・ジョンウクの手帳と身分証明書を見て、ガンラムは驚く。実はヨンファは、キム・ジョンウクを美しい思い出のままにするために、ヨンファの方からわざと連絡を絶ったのだった。

ついにキム・ジョンウク氏に会い、彼への想いを断ち切ったヨンファ。実は、ヨンファとガンラムは9年前に既に出会っており、ガンラムこそが「運命の人」だったということが明かされ、ハッピーエンド。

 

感想

ストーリーはお約束のラブコメなので少し退屈だった。

主人公の女性(ヨンファ)のキャラクターがいまいちしっくりこなかった。

ヨンファを演じているチョ・ヨンファ氏(ややこしい)が結構幼い感じで、22歳のインド旅行のシーンではちょうど良いが、31歳の新聞記者にはちょっと見えない。見た目に頓着しないという設定なのは分かるが、化粧をほぼしていなくてカジュアルな服装だし、俳優さんも若そうなので、女子大生くらいに見える。最後にキム・ジョンウク氏と会うシーンではお洒落をするが、それもピンクのミニスカートのワンピースで、かなり不自然な感じがする。それに比べると、日本版の彩吹真央さんはいかにもなキャリア女性で、ビジュアル的な納得感がある。

新聞記者なのだからインテリなのかと思いきや、英語は苦手なようだし、社会的な階層もいまいち謎だった。

ヨンファの父親は軍人で、かなりパターナルな人間として戯画的に描かれている。ヨンファはそういう父の娘として育ったので、反発して自由奔放に振舞っているのだが、実際は結構臆病だという設定。作品は2006年初演だが、今日の韓国フェミニズムっぽさも若干ある。ヨンファの父みたいに家でもああいう軍隊用語?で話す人っていうのは、韓国ではあるあるなんだろうか。

ヨンファの男の趣味には異常に共感してしまった。海外旅行好き(しかもインドとかヒマラヤ)で哲学を専攻していた男!!!アラサーの新聞記者の女がそういう男が好きで、しかも「運命の男」との思い出を大事にしながら生きているという設定は異様にリアリティがある。

なので、最後に安定志向のガンラム氏とくっつくのはあまり納得感がない。見合いで来た男の方がよくないか?いや、お約束だから仕方ないんだけど・・・

 

ガンラムとキム・ジョンウクの2役を演じているパク・ガンラム氏(ややこしい)の演技は良かった。2人の違いは眼鏡のありなしだけなのに、何故かちゃんと別人に見えるからすごい。

モブ全員を全部演じる「マルチマン」を演じるムン・ジュニョク氏はなかなか芸達者だった。「マルチマン」の役柄はステレオタイプな感じが多い。インド人の役も演出的にはひどくてステレオタイプを指摘するまでもないのだが、曲は妙に歌詞がロマンチックで素敵で困惑した。

 

全体的に脚本はちょっと粗が目立つ。ヨンファは運命の人を探すためにインド旅行に行ったと語っているが、英語ができないんだから、ふつう恋人は国内で探したほうが良いのでは・・・?

ガンラムは通信社をクビになって「初恋探し事務所」をはじめるのだが、そもそも通信社に勤めているから人探しを頼まれて始めたので、クビになってからは情報にアクセスできないのでおかしい。いきなり立派な事務所を借りているし、おぼっちゃんなんだろうか。

 

この作品は若手の登竜門ということで、キャスト3人とも歌もダンスも演技も発展途上な感じではあったが、それなりに楽しく気軽に見られる演目だった。カップルがデートで見るのに人気らしいので、これくらいのノリがちょうどいいかもしれない。

曲もめっちゃ気に入るというほどでもなく普通だが、「ソウルでキムさん探し(探し!)」の曲は楽しくて好き。

 

See Also:

『キム・ジョンウク探し』と同じ、大学路発のミュージカル『ファンレター』のあらすじ&感想。

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こちらは、『ファンレター』を配信で見たときの感想。これも韓国観光公社のミュージカル配信。ありがたい

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"Stars"の歌詞に感じる違和感、あるいはジャベール警部の信仰について

今年のレミゼの公演始まりましたね。一昨年はチケット戦争に破れたが、今年はどうにかチケットを確保できたので安心。

1年弱かかってようやく『レ・ミゼラブル』原作(小説版)を読み終わった。おたく女のご多分に漏れず私の推しはジャベール警部なので、今日は推し語りをしていきます。

 

原作を読んだあとでミュージカル版をみると、何だかちょっと違和感がある。ミュージカルのジャベールは、原作のジャベールよりも「信心深すぎる」ように見える。

 

原作でもミュージカルでも、ジャベールの基本的な性格やストーリーは変わらない。

ジャベールは、法を絶対的な価値として、ジャン・バルジャンを執念深く追う警部である。しかし、物語の終盤、そのジャン・バルジャンに命を助けられたことで、自殺してしまう。

 

ジャベールの信仰について

一番違和感があったのは、ミュージカル版のジャベールのソロ曲"Stars"だ。

日本語版歌詞だと意味がとりづらいので、拙いながら和訳をつけてみた。

There, out in the darkness
A fugitive running
Fallen from god
Fallen from grace
God be my witness
I never shall yield
Till we come face to face
Till we come face to face

暗闇の中から逃亡者が走り出る

神より堕落し、恩寵を失った者

神はおれの証人

対峙するまで許すものか

He knows his way in the dark
But mine is the way of the Lord
And those who follow the path of the righteous
Shall have their reward
And if they fall
As Lucifer fell
The flame
The sword!

彼がいくのは闇の道

だが、おれは主の道をいく

義の道をいくものは報われよう

しかし、もしもつまづけば

堕落したルシファーのごとく

炎と剣の餌食となる!

Stars
In your multitudes
Scarce to be counted
Filling the darkness
With order and light
You are the sentinels
Silent and sure
Keeping watch in the night
Keeping watch in the night

星々よ、

あまりに多くて数えることはできないが

秩序と光で闇を満たす

あなたこそ番人

静かに確実に夜を見張る

You know your place in the sky
You hold your course and your aim
And each in your season
Returns and returns
And is always the same
And if you fall as Lucifer fell
You fall in flame!

占めるべき場所を知り

定めどおり空を巡る

季節ごとに同じことを繰り返す

そんな星々であろうとも

ルシファーのように堕落すれば

やはり炎に焼かれるだろう

And so it has been and so it is written
On the doorway to paradise
That those who falter and those who fall
Must pay the price!

それは定め

楽園の入り口で

よろめく者や堕落する者は

代償を払わなければならない!

Lord let me find him
That I may see him
Safe behind bars
I will never rest
Till then
This I swear
This I swear by the stars!

主よ、彼を捕らえさせたまえ

その時までおれは休むまい

星に誓う

日本語版の歌詞では宗教的な表現は省略が多いが、英語の歌詞をみるとずいぶん宗教的な表現が多いことに気づく。

ミュージカルのジャベールは、明確に、法の根拠は神であると認識し、神への帰依を表明している。彼の認識では、法は、星の運行などの自然現象と同様、神の定めた秩序の現れである。だから、彼が法を守るのは神への信仰を意味している。

 

"Stars"の歌詞のもとになったのは、原作の以下の部分だと思われる。これは、ジャベールがフォンティーヌの前でジャン・バルジャンを逮捕する場面の一節である。

ちょっと長いけど、非常にかっこいい文章で好きなので一段落まるごと引用する。

はっきり意識していたわけではないものの、自分が社会に必要な人間であり、しかも成功した人間だとおぼろげながら直感している彼、ジャヴェールは、われこそ正義、光明、真実を体現しているのであり、悪を粉砕する神のような任務を帯びていると感じていた。彼はじぶんの背後と周囲の限りなく深いところに権威、道理、既判事項、法的良心、公的評決などというありとあらゆる星をもって秩序を保護し、法律の雷鳴をとどろかせ、社会的制裁を実行し、絶対的なものに協力する覚悟だった。彼は栄光のなかにすっくと立っていたが、その勝利にはわずかながら挑戦と戦闘の色が残っていた。傲然と立ち、輝かしい彼は、蒼天のただなかに、残忍な大天使の超人的な獣性を見せびらかしていた。彼が成しとげる行為の恐ろしい影は、ぎゅっと握ったそのこぶしに、社会の剣のかすかな輝きとなっていた。幸福と憤怒にみちた彼は、その踵のしたに犯罪、悪徳、反逆、遊蕩、地獄を踏みつけにし、微笑んでいた。だが、この怪物めいた聖ミカエルには否定しえぬ偉大さがあった。(第一部第八篇第三章)

いっけん"Stars"の歌詞と同じようなことが書いてあるように見える。

ミュージカルの"Stars"では、ジャベールはジャン・バルジャンをルシファーに例えているので、結果的に自分はルシファーを倒したミカエルに相当する存在であると認識していることになる。

一方、原作では、ジャベールをミカエルに例えているのはジャベール自身ではなく、作者(ユーゴー)であることに注意が必要である。ジャベール自身は、「法=正義」と認識しており、それが神の意志にかなうことであるということも感じている。しかし、神への信仰のために法を守るのではない。彼の第一目的はあくまで法秩序を守ることであり、神はむしろそれを正当化するだけである。

 

ジャベールと権威について

原作では、ジャベールが法や権威を絶対視するようになったのは、彼の生い立ちに由来すると説明されている。

ジャヴェールは監獄の中で女トランプ占い師の子として生まれた。女の亭主は漕役刑に服していた。成長するにつれて、彼はじぶんが社会の外にいると考え、その社会に復帰することをあきらめた。彼は社会が、ふたつの階級の人間、すなわち社会を攻撃するものたちと社会を保護するものたちを容赦なく締め出していることに気づいた。彼にはこのふたつの階級のどちらにするのかという選択しかなかった。それと同時に、自分にはどうやら厳格さ、几帳面さ、実直さの素質があるらしいと感じたが、これらの素質がじぶんもそのひとりである、あの放浪の種族にたいするなんとも曰く言いがたい憎悪とこんがらがっていた。彼は警察にはいった。(第一部第五篇第五章)

 要するに、「ジプシー」で犯罪者の子という生い立ちのため、同属嫌悪的に社会の周縁的存在を憎みむようになった。彼が社会的に承認されるためには、自分を周縁的存在に追いやった社会秩序を、逆説的に、過剰に肯定し絶対化する必要があったということだ。

 

ミュージカル版でも"The Confrontation"で、一応、生い立ちについては説明されているが、思想に及ぼした影響については特に言及はない。

I was born inside a jail

I was born with scum like you

I am from the gutter too!

おれは刑務所で生まれた

お前と同じように、クズと共に生まれ

どん底から這い上がった!

 

ミュージカルのジャベールは明らかに強い信仰に基づいて、警官としての仕事を全うしている。一方、原作のジャベールはあまり信仰に意識的ではない。聖職者に敬意は示すが、それは信仰のためではなく、むしろ教会の(現世における)権威のためである。

ジャベールの本質、彼の領分、息がつける環境とは、あらゆる権威に対する尊敬だった。(中略)教会の権威はもちろん、あらゆる権威の第一のものだった。(第一部第八篇第五章)

彼はいささかもいわゆるヴォルテール主義者でも、哲学者(フィローゾフ)でも、不信心者でもなく、それどころか本能によって既存のカトリック教会に敬意をいだいていた。だが、その教会を社会全体のなかの厳かな一部として知っていたにすぎない。秩序こそが彼の教理であり、それで充分だった。成人して官吏になって以来、彼はみずからの信仰心をそっくりそのままと言っていいほど警察にゆだねた。そして前述のように、いささかも皮肉をまじえず、司祭のような態度で密偵を務めていたのである。彼の修道院長はジスケ警務総監であり、神という、あのもうひとりの修道院長のことなど、この日まで考えたこともなかったのだ。(第五部第四篇)

 

ジャベールの自殺

原作とミュージカル版とで、ジャベールの「神=秩序=正義=法」という認識は共通しているのだが、ミュージカル版ではそれを明確に意識して行動しているのに対して、原作では、あくまで無意識的にぼんやりと感じているだけであるという点が異なっている。ミュージカルには「地の文」がないから、そうならざるを得ない面もあるが・・・

とにかく、この相違点は、彼の自殺の理由にも関わっている。

 

まず、ミュージカルのジャベールの自殺のシーン"Javert's Suicide"をみてみる。

I am the Law and the Law is not mocked
I'll spit his pity right back in his face
There is nothing on earth that we share
It is either Valjean or Javert!

おれは法だ、法は嘲られてはならない

あいつの慈悲なんか突き返してやる

我々が共有するものは何もない

ジャン・バルジャンかジャベールか、どちらかだ

(中略)

I'll escape now from the world
From the world of Jean Valjean
There is nowhere I can turn
There is no way to go on…

ジャン・バルジャンの世界から逃げよう

おれが戻れる場所はない

おれが行く場所はない

 法を守り神の定めた秩序に従うというジャベールの信仰形態に対し、敵にも慈悲を与えるというジャン・バルジャンの信仰形態がぶつかった。ジャベールの認識では、この2つは絶対に相容れない、二項対立的なものである。

はじめはジャン・バルジャンの信仰を受け入れられないが、最後にはジャン・バルジャンの信仰の方が正しいと感じる。そこでは、今まで「正義」だと思っていたものは、もはや正しくない。価値感が覆されたことに耐えられず、自殺してしまう。

キリスト教では罪である自殺をしているのは、信仰を失ったわけではなく、自分は救われる価値がないと思ったのだろうと思う。

 

一方、原作のジャベールは、信仰に意識的ではなかった。だからこそ、ジャン・バルジャンに命を助けられ、法とは別の道徳という価値感を目の当たりにし、衝撃を受けるのである。

物語の冒頭、ジャン・バルジャンがミリエル司教から慈悲を受けて驚くのと同様、ジャベールもこれまで道徳や慈悲に触れたことがなかった。だから、人間社会を、秩序や権威といったピラミッド型のものとしてしか認識できなかった。

これまで頭上にいただいていたものはすべて、彼の目には明確で、単純で、清澄なものとして映っていた。(中略)だがいま、ジャヴェールは仰向けに転倒し、上方の深淵という、これまで目にしたことも耳にしたこともないものの不意の出現に愕然としていた。(第五部第四篇)

それまでのジャベールの世界は、秩序で整理された単純なものだったが、良心という新しい尺度によって、複雑になった。正義はもはや1つではなくなった。ジャベールは世界の複雑さに耐えられなくなって死んだのである。

 

ただし、ミュージカル版と違い、ジャベールは良心というものが受け入れられなかったのではない。原作のジャベールは自殺の前に一つ行動を起こしている。職場である派出所に行き、囚人の扱いを人道的にするように意見書を書き、それから川に飛び込んで死んだ。

ミュージカル版では描かれていないこの行動は何だろう?法の管轄であるはずの囚人の扱いについて、良心を導入する。原作のジャベールは、法と道徳は完全に相反するものではなく、折り合いをつける方法があることを分かっていた。それでも、彼はその新しい複雑な世界で生きていくことを良しとしなかった。

 

 おわりに

法の与える刑罰よりも、人間の良心や慈悲が本当の救いをもたらすという、物語全体のテーマが明確に描かれているのは、ミュージカル版かもしれない。ミュージカルのジャベールは、強い意思で、ジャン・バルジャンとは逆の信仰を持ち、明確に打ち倒されるから。

しかし、自分としては、人間らしくて少し複雑な、原作のジャベールの方が好きだなという話でした。

 

 

この記事では、原作は平凡社ライブラリー版から引用しました。一番新しい翻訳のため、当世風で読みやすく、おすすめです。

 

See also:

舞台を見にいったときの感想。

iceisland.hatenablog.com

レミゼ語り第一弾の記事。左翼度強め。

iceisland.hatenablog.com

 

【感想】ソ連版『ロード・オブ・ザ・リング』

ソ連で制作された『指輪物語』のテレビドラマの映像が発掘された、というニュースを見たらしい。YouTubeで公開されていたので早速見てみた。

当然ロシア語だけど、ちゃんと英語字幕がついている(少し怪しいが)。ネットのオモチャにしてほしいという意思の表れと見た。

 

courrier.jp

 

youtu.be

 

youtu.be

 

タイトルは《Хранители》で、おそらく「指輪保持者(複数形)」のことだろうと思う。

動画は2本あり、各1時間程度。「前後編」と紹介している記事があるが、タイトルは「第1章」「第2章」。第1章ではトム・ボンバディルまで、第2章では、塚山から「旅の仲間」終了までが描かれる。

 

もう、どう考えても打ち切りとしか思えない。しかも、第2章を制作するときには既に打ち切りが決まっていたとみえる。何しろ、第2章では、塚山、アラゴルンとの出会い、エルロンド会議、モリアの坑道、ロスローリエン、ボロミアの裏切り、が1時間に詰め込まれている。とにかく「旅の仲間」までは終わらせようと頑張ったんだろうな。

詰め込みのせいで、場面転換がものすごく唐突になっている。裂け谷にいたかと思うと、次の瞬間モリアの坑道の中を探検している、みたいになっている。メルロン!のシーンはもちろん無し。

 

しかも、たびたび重要なシーンが無視されている。ガンダルフは、バルログとの戦闘の描写がないまま、突如として行方不明になり、「ガンダルフは死んだに違いない」といって置いていかれる。ひどすぎる。悲しんでないで探してやれ。

また、ボロミアの裏切りの後、オークとの戦いがなく、ボロミアは死なない。そのため、ボロミアが単に裏切っただけの嫌なやつになってしまっている。

逆説的に、ピーター・ジャクソンの映画版にトム・ボンバディルと塚山の場面を入れなかったのは正しかったことが証明されてしまった。「旅の仲間」を2時間に納めるのは無理。

 

とにかくCG技術はひどい。全てがぼやけていて何も分からない。背景はファミコンRPGを彷彿とさせる。1991年制作だが、

CG技術がないため、戦闘シーンはかなり省略されている。そのため、何が起こったんだか謎になってしまっている部分も多い。『アタック・オブ・ザ・キラートマト』(トマトが人を襲うクソホラー映画)を髣髴とさせる。トマトが出てきて「キャー」と悲鳴があがった次の瞬間には血溜まりが...みたいな感じ。

 

全体的に演技力は死んでいるが、キャラクターの描写はそんなに(比較的)悪くない。アラゴルンが渋くてカッコいい感じで登場したのに、終盤単なる気のいい兄ちゃんみたいになっていて可愛かった。ゴラムの頭のレタスは謎だが...メリーが眼鏡かけているのは斬新。

 

エルフの描写はやたらフワフワしていて、なんか誤解があるように思う。『不思議惑星キン・ザ・ザ』の、人をサボテンに変えてしまういけ好かない星の住民に似ている。

ゴールドベリ(トム・ボンバディルの奥さん)の荘厳さに比べて、ガラドリエルがやたらにキラキラしてるばかりでショボいのは悲しい。贈り物もくれないし。レゴラスは女性が演じているように見えたけど何故?

 

冒頭にリンクを貼ったクーリエ・ジャポンの記事には、ホビットたちとトム・ボンバディル夫婦の写真に「ホビットの小ささもちゃんと表現」とキャプションがついているが、間違い。トム・ボンバディル夫婦がでかいだけで、ホビットは単に背が低い俳優さんが演じている。ホビットは小さいから馬に乗れないという設定だったと思うのだが、映像では普通に馬に乗ってるのに、台詞では「ポニー」であることになっていて笑ってしまった。

 

1991年制作であることを考えてもかなりクオリティが低いと思う。ピーター・ジャクソン版を久しぶりに見返したくなった。ドラマも楽しみだし。

 

See Also:

ソ連版『ロード・オブ・ザ・リング』、当時の社会情勢を考えると、版権無視で制作したんだと思うけど、YouTubeで公開して大丈夫なんだろうか。

現代のロシア人もけっこう著作権に無頓着な印象がある。これとか・・・

iceisland.hatenablog.com